第33回 トレドの老舗のパン屋さん その2
坂道の多いトレドを描いた印象画

「父にとって、絵を描くことは、天命に向かい合うことと同じかもね。パン職人時代は、時間が全然なかったから。絵を描くことが彼の本当の望みだったの」

たしかに、老後の趣味だと一言で片付けてはならない大きな心が、このアトリエにはある。茨の冠を被せられたキリストの強烈な目の表情に惹きつけられて感嘆していると、娘のアラセリさんの口から次々と真実が飛び出しました。

「父が子ども時分の家のパティオはとっても大きくてね、馬一頭、豚一頭を飼っていたのよ! それにたくさんの鶏がいたのよ。豚は1年分の食肉用で、鶏は卵のため。あの頃は、まだまだそんな時代だったのよね」

「なんと、馬もいたんですか!? すごい!」 

豚や鳥を飼っていたというのはよく聞く話で、自宅の庭で豚を解体するのも昔のスペインの風物詩ともいえる習慣だったので驚かないけれど、トレド旧市街のパティオで、馬を飼っていたというのは、初耳です。

私が驚いている横で、マノロさんもまた新事実を話してくれます。

「僕の昔の家は、今、アラセリが家族と住んでいるところだよ」

「ええ!? あそこって、聖アンドレス教会の下の坂道ですよね。あの一角は全体がレンガ造りの集合アパートで、パティオなんてありませんけど」

「アパートになっちゃったんだよ。昔はパン工房も店も、ここじゃなくて、あっちにあったんだがね。ここは、先祖代々使ってきた倉庫だった」

そういえば、その聖アンドレス教会の下の坂道は、「パン工房坂」(クエスタ・タホナ)いう名前だった! そうか、あそこで……。

四方をレンガの家と壁に囲まれたパティオは、一面に生い茂る乾いた草と動物たちのおかげで、田舎の土の香りがしていたことでしょう。見上げれば、昼は大空が青く澄みわたり、夜は満天の星が輝き、雨が降れば草木が潤い……。

パティオから続く作業室では、毎日、おじいさんがパンにするため小麦粉をこねていたと言います。 小さなマノロさんは、鶏を追いかけたり、卵を探して「あった!」と喜んだり、豚や馬にちょっかいを出そうとしては逃げたり、餅のような小麦の塊をちぎっては丸めるおじいさんの手の技をじっと見つめたり。そんな孫を愛おしむおじいさんの顔まで目に浮かんできます。

「小さい頃から、じいさんの仕事を見ながら遊んでいたから、いつの間にか、いろんなことを覚えていった。あの時分から絵を描くのが大好きだったがね、自分はパン屋になるものだと思って育ってきたんだよ」

仕事を覚えて手伝える年齢になったマノロさんは、店に出て、父親の元で本格的に後継ぎ修行をするようになりました。

パンの配達が、修行時代のマノロさんの大事な仕事でした。

スペインは午後2時から昼ごはんを摂る習慣があるので、毎日それまでに、注文されている300本のパンを配達しなければなりません。

運搬の足となったのが、馬。パティオにいたというあの一頭です。

「パンの配達をするときは、馬の背から左右両側に二つの大きなカゴを渡してね。一つのカゴに30本ずつ、両方で60本のバゲットを入れて、家庭に配り歩くんだ。配り終わったらまた家に戻って、カゴをいっぱいにして坂道を上っていく。毎日5往復したんだよ」

迫真の表情、特に目の描き方に圧倒される

1年中忙しく、滅多に休みも取れない仕事でしたが、美術館に行く時間がなくても、美術に触れられる時間がありました。エントランスや広間に美しい油絵がかけられているお客さんの家もありましたし、画家のエル・グレコも愛したトレドには、画家のダリや映画監督ブニュエルらも集まり芸術グループが結成されるなど、独特の雰囲気もあったのです。

仕事の合間に垣間見ては肌で感じる芸術の力に励まされながら、マノロさんは修行に励んでいきました。

河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール》 
ライター、フォトグラファー。コーディネーター。大学の日本語講師。今回の話に出てくる聖アンドレス教会は、千年以上の歴史を持ち、何十体というミイラが保管されていることで有名だ。貧しい人たちの葬式が行われていたらしく、教会の裏通りは「死者小道」と呼ばれている。教会の隣はスペインで最も重要な神学校で、今も世界中から集まった神学生たちが学び、祭りの時は大聖堂で美しいグレゴリア聖歌を聞かせてくれる。
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