縄文土器。漢の鼎(かなえ)。古代ローマのバッカス酒杯。
祭祀用であれ生活用であれ、器は人を魅了し、人は器にこだわってきました。
私もその一人です。東京では陶芸教室にも通い、江戸時代の染付絵皿も集めてきました。
実は、器に対して、不思議な感覚もあります。いくら古いものでも、古く感じないのです。この感覚って、何でしょう?
「過去は戻らないけれど、それを作っていた時の作家の人生が、作品の一部になって、続いているのかも」
そう語るのは、今回の主人公、モニカさんです。陶芸の町タラベラ・デ・ラ・レイナ(以下タラベラ)で、目覚ましい活躍をする陶芸家です。
モニカさん。東京・浅草のアサヒビールスーパードライホールも手がけたフランスのデザイナー、フィリップ・スタルクとのコラボで製作したタイルの前で。
白い光の差し込む広々としたアトリエには、焼く前の壺、試し焼きしたタイル、下地を描いた模造紙や道具などが、ちりばめられています。
モニカさんが続けます。
「陶器って、土。匂い。冷たい感触。柔らかさ。手でこねて、形を作る。釉薬(ゆうやく)で絵を描く。それを乾燥させて、窯に入れる。ところが温度や焼く時間によっては、描いたはずの色が飛んでしまうこともある。だから、窯を開ける瞬間は、何年やっても、ドキドキするの。そして、 出てきた作品に、心が鷲掴みにされちゃうんです」
その感覚は私にも馴染みがあります。自分の意図とは別の、個性を持った何かが、窯から誕生するかのような。そのワクワク感の思い出を伝えると、
「そうでしょう。陶芸って面白いのよ」
その不思議さについて、モニカさんが面白いことを教えてくれました。
「人が欲しがるのは、私の心がぎゅっと鷲掴みにされた作品なのよ」
■■■タラベラ陶器の功績と現実
幼い頃からモニカさんは、家にあった陶器を見ては、図柄のデザインを写生するのが好きでした。それは、自分の曽祖父が、伝統陶芸を復活させて世界的に活躍した、名工フアン・ルイス・デ・ルナ氏(Juan Ruiz de Luna、1863−1945)であることを知る、まだずっと前のことでした。
近年、ユネスコの世界遺産無形文化財にも認定されたタラベラの陶器は、繊細なマイセンやウェッジウッドの陶磁器とは一味違い、スペイン独特の、柔らかくてほっこりとした優しさが魅力です。
南欧風の沃野のおかげで、古代ローマ時代から栄えていたタラベラは、イスラム教徒による陶器作りも盛んでした。1492年にスペインがカトリック国を宣言した後には、オランダからの新技術も取り入れ、スペイン王室御用達の窯元地区として発展した歴史があります。メキシコの「タラベラ焼き」の由来も、ここです。
しかし、時代の流れで、19世紀に陶器産業は衰退し始め、20世紀には、観光用の手頃な小物が主流となっていました。
モニカさんの曽祖父も、若い頃は故郷を離れ、マドリードで写真館を営み、映画の父と呼ばれるフランスのリュミエール兄弟らと交流を楽しんでいました。しかし、故郷で伝統芸術を守る兄弟や友人からインスピレーションを受けて開眼し、陶芸界へ転身。故郷に大きく貢献する人生を送ることとなったのです。
モニカさんには、もう陶芸を継いでいる家族はいませんでしたが、11歳の頃から、陶芸を愛する公務員の父に導かれ、器作りにはまり、これを将来の仕事として考えるようになりました。
ところが、その夢を阻んだのは、現実という壁でした。
「もう斜陽産業。女が陶芸家になって、何になる?」と、家族も周囲も言うのです。モニカさんは、夢は心にしまい、親を喜ばせるために、大学の専攻も心理学にしました。
■■■進路を変えて、人生猛攻撃
「遅すぎる!」
モニカさんは、ある日、ハッと焦ります。
「臨床実習やら何やらで、心理学で独り立ちできるのは30歳。それを待って陶芸を始めるなんて、できない!」
心の奥にまだある夢に気がついてから、空白を挽回する猛攻撃が始まりました。大学を辞め、美術学校に進路変更。電動ろくろを買うために、アルバイトトも。陶芸ビジネスを学ぶため、工業陶芸の会社にも入社しました。曽祖父は有名でも、一般家庭の女子の、ゼロからの挑戦だったのです。
20世紀も終わりに近づいた頃、やっと25㎡(7坪)程度のアトリエを開くことができました。とは言っても、伝統産業ならではの老舗も多く、ビジネスとしては、スタートラインに立ったばかりです。
そんなモニカさんに好機が訪れます。2004年に、現国王夫妻のご成婚記念に、タラベラ市役所が陶器の贈り物を企画し、陶工を公募したところ、モニカさんに白羽の矢が立ったのです。作品には、丁寧に「セラミカ・サン・ヒネス」と手書きの印を入れました。
2回目のチャンスが訪れたのは、2010年。アルジェリア政府の一大プロジェクトに、「セラミカ・サン・ヒネス」が大抜擢されたのです。タイルを外壁全面に使用することでは、世界最大のビルの建設でした。
アルジェリアのオーラン・コンベンション・センター着工時の様子。クレーンの高さから、その規模がわかります。
詳しいビデオはこちらで。(英語)
アルゼンチン人の現場監督からの依頼は、「実質制作量の半分だったのよ。最初から知っていたら、受けなかったわよ」と、モニカさんは笑います。
この大事業から6年後、マイアミの有名レストランからも、注文が来ました。「内壁全体をあなたのタイルで覆いたい」と。
■■■陶器がお客さんを選ぶから
曾祖父の名があるとはいえ、大窯元や名工ひしめくタラベラで、なぜ、若手女性のモニカさんの作品が、選ばれ続けたのでしょう。
その秘密とは?
今でこそ、信頼する仲間とのチーム体制で制作し、技術管理や経営の仕事が増えたモニカさんですが、誰にも委ねないことが一つあります。焼成です。
なぜなら、窯から出てくる作品に心を鷲掴みにされた時のドキドキ感が、モニカさんの心の周波数となって、同じ高さの周波数を持つお客様の心とシンクロし、それが買われていくというという不思議なルールに気がついたからです。それは、「陶器がお客さんを選ぶのよ。お客さんが陶器を選ぶのではなく」という確信に至りました。
話す場所をギャラリーに移すと、棚に並ぶ美しい陶器の中から、蝶が花に止まるように、私の心が自然に引き寄せられていく作品がありました。
我が家のメンバーになった急須(?)と、ちょっと贅沢なコーヒーカップとソーサー。高級なのに懐かしい。毎日彼らとおしゃべりをする気分で使っています。
ありそうでなかなかない、好きになれる急須。心にキュンとくる絵皿。そして、自分用には贅沢に思えたコーヒーカップ。値段とにらめっこしている私にお構いなしで、作品と心がシンクロしているのがわかります。
こうして連れて帰ることになった器たちは、家に向かう車の中で、私の心と一緒に、はしゃいでいるかのようでした。どの器から、使おうかな? お皿には最初に何を載せようかな? だって、モニカさんはこう言ったのですから。
四角い形と、手書きの細かくかわいい模様に惹かれ、目が離せなかったお皿。友達の庭でとれた唐辛子の赤が、絶妙なアクセントになることを発見。
「器を見てあなたの心がドキドキしたら、器があなたを見初めた証拠。だから、私の窯から生まれた器は、誰かへのプレゼントではなく、ぜひ、自分のために手元に置いて、毎日使ってあげてください」
参考資料:
Cerámica San Ginés (スペイン語、英語):
モニカさんの曽祖父フアン・ルイス・デ・ルナさんを紀念する州立美術館「ルイス・デ・ルナ美術館」の紹介ビデオ
《河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール》
トレド(スペイン)在住ライター、コーディネーター、フォトグラファー、大学講師。今回が、2014年1月から続けてきた「スペイン職人物語」の最終回です。怠け者の私にハッパをかけ続けてくださった地球丸編集部には、感謝の思いしかありません。おかげで、多くの素敵な職人に出会え、スペインの深い一面を教わる連載となりました。今回のモニカさんも、釜元サン・ヒネスの皆さんも、スペインらしい人情を大切にする人々です。それが作品にも表れているんですね。後継者問題もあるとのこと。若い失業者の多いこの国で、熱意ある若者との出会いがあることを、祈りつつ、この連載を終えます。皆様、長い間、本当にありがとうございました!
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