第32回 トレドの老舗のパン屋さん その1

「ダメ、パン――こう聞けば、『パンはダメ』だと思うのが日本人。パンをくれるのがスペイン人」とスペイン人に話すと、皆、大笑いします。「ダメ」はスペイン語で「私にちょうだい」の意味なのです。“日本語”の「パン」がそのまま「パン」で通じるのは南蛮貿易のおかげかなと、500年前の歴史を思ってしみじみした気持ちになります。

「パン」という名称は、「釜で焼いた練りもの」を指すラテン語が起源だと言われていますが、それはもっと古いインド・ヨーロッパ語の「食べる」に遡る言葉だとのこと。インドやヨーロッパには、一体どのくらい「パン」つながりの言葉が存在するのでしょうか。

旧約聖書には「イーストを入れないパン」について書かれています。イースト入りのパンは、ユダヤの敵国エジプトの主食でした。そのどちらにも、干し葡萄入りのパン、薬草入りのパンなど、種類はいろいろあったのでしょうか?

いや、パンの種類を語る以前に、小麦を石臼で挽いて粉にし、水を加えて焼けばパンになるという方法を発見したこと自体、人類史上の奇跡ではないかと唸りたくなります。この発見は、8000年前のメソポタミアに遡るそうです。

パンを主食とするスペインでは、祈りの言葉やことわざにも「パン」が多く登場します。カトリック信者がミサで受けるキリストの聖体は丸いパンですし、祈りには「私たちに毎日パンを与えてください」という一節があります。

淀川長治が映画解説をしていた頃、よくクリスマスの時期に放送されたスペイン映画『汚れなき悪戯』は、悲しげな旋律の主題歌が音楽の教科書にも載っていたほどの名画です。スペインに来てすぐに、原題が『マルセリーノ、パンと葡萄酒(Marcelino, Pan y Vino)』だったことを知りましたが、「パン」が含まれているのをとても不思議に思ったことが、18年経った今も忘れられません。

たかがパン、されど深い歴史と文化の一部であるそのパンを、先祖代々トレドで焼き続けてきた家族の子孫のマノロさんが、今回の主人公です。今年85歳になるパン職人マノロさんは、私たちに何を伝えてくれるのでしょうか?

大小七つの丘でできているトレド旧市街は、坂道が多い上に、アラブ風街づくりの影響もあって、道が細く入り組んでいます。石畳の細い道の両側に、レンガ造りの高い壁が連なっており、壁の所々に家への入り口があります。

マノロさんのパン工房は、特に石畳の道や壁が交錯した一角にありました。

冗談が大好きな長女アラセリさんに導かれて、約束の時間にパン工房を訪れると……。

「ようこそ来てくれましたね!」

マノロさんのアトリエで作品を紹介するアラセリさん(右)とマノロさん(左)

満面の笑顔で出迎えてくださったマノロさんがまとっている白衣が、絵の具にまみれています。通された部屋は画材に溢れ、花の油絵が立てかけられているイーゼルの上に、まだ濡れている絵筆が置かれていました。

パン職人さんだというのに、なぜ? 

マノロさんのパン職人と画家人生を紹介する記事の数々

壁に、マノロさんを取り上げた新聞記事の切り抜きやコピーが、何枚も重ねて貼られています。

「うわっ、メディアにこんなに取り上げられている。めちゃくちゃ有名な方じゃないですか!」

驚いてつい口にすると、アラセリさんとマノロさんが同時に笑いました。

「画材だらけのこの部屋を見て、誰も、その昔、ここでパンが売られていたなんて、想像しないよね。見て! あっちの釜でパンを焼いていたのよ」

アラセリさんの人指し指が向いている方には、ガラス窓越しに、教室のように広い部屋の奥に静かに佇む大釜が見えます。

切り抜きの新聞の見出しを読んで、理解できました。

マノロさんは、画家に転身したパン屋さんだったのです。

正確に言えば、パン屋を廃業せざるをえない事情が発生し、画家として生きる道を選んだ元職人さんだったのです。

トレド旧市街の石畳の街角を描いたマノロさんの作品

 

河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール
ライター、フォトグラファー。カスティーリャ・ラ・マンチャ大学日本語講師。昨年末に帰国した折、母のために、掘りゴタツを潰しテーブル式を導入、2階のベッドも解体して1階の母の寝室に設置したら「よく一人でできたね」と驚かれ、如何に過小評価されていたかを知る。歳80にして初ソファ・初ベッドの生活を満喫する母は、ホームパーティーも楽しんでいるらしい。よかった。フォトギャラリーの充実したHPを新調しました。ぜひ立ち寄ってください。www.kimipla.net