245号/原田慶子

リマでベネズエラ人の姿を頻繁に見るようになったのは、いつごろからだろう。一昨年まで、私の生活圏ではまだほとんど見かけることはなかった。それから半年もしないうちに街はベネズエラ人であふれるようになり、今では彼らを目撃しない日はない。

ペルーに逃れてきたベネズエラ人がまず始めるのは、街頭での物売りだ。祖国ではエンジニアや医者、大学教授だったりした人が、頭を下げながらバスに乗り込み、1ソル(約34円)のガムやキャラメルを売り歩く。それでも祖国よりましなのだろうか。100万%を超すインフレ?まったくイメージがわかない。1980年代のハイパーインフレ時、野菜や肉の値段が午前と午後で全然違ったというペルーですら、その率はせいぜい7000%程度だった。

バスのルートにもよるが、かつて1時間ほどの車中で出会う物売りはせいぜい2~3人だった。今では5~6人、多い時は10人くらい乗ってくる。そしてそのほとんどがベネズエラ人だ。カトリックの影響で施しにあまり抵抗のないペルー人たちは、以前は気前よく物を買ったり小銭をあげたりしていたが、さすがに相手が多すぎて最近では見向きもしなくなった。時間がかかる、運転マナーが最悪、だけど基本運賃が安い(1ソル)から我慢してバスに乗っているのに、お布施が5ソレスや10ソレスになってしまうなんて本末転倒だ。しかもそれが毎日である。人々を無慈悲と責めるのは難しい。

レストランの給仕や商店の売り子など、正規の雇用契約抜きで簡単に始められる職業に飛びつくベネズエラ人も多い。使用者にしてみれば、あれこれ注文をつけ労働者の権利を楯にあまり働かないペルー人より、安い給料でも必死に働くベネズエラ人のほうが使い勝手がいい。しかも美男美女が多くて教養もあり、物腰も優雅となればなおさらだ。ペルー人の友人は「ベネズエラ人のおかげで、店のサービスがよくなったわね」と気楽なものだが、巷には職を奪われたと感じているペルー人も大勢いる。今では低賃金労働だけでなく、彼らへの外国人嫌悪も取りざたされるようになった。

国連によると、チャベス前大統領が就任した1999年以降に自国から逃れたベネズエラ人は推定230万人、直近3年では150万人を数えるという。国境を越える人々は日増しに増え、国連広報官は「ラテンアメリカ前代未聞の危機だ」と警告する。なのになぜ世界は無反応なのだろう。対岸の火事だから?これを責めるのも難しいのだろうか。

(ペルー・リマ在住 原田慶子)