第4回 読書生活の充実は、子どもの将来をも充実させる
小学校で行なわれるブックフェアは、出版社にとって利益になるだけでなく、主催する学校側にもメリットがある

現在夏休み真っ只中の日本。私が子どものころにもあって、今の日本の子どもたちも課されている夏休みの宿題といえば、読書感想文や読書感想画をかくこと。課題図書になかなか自分の好きなものがなく、困った記憶がある。そんな悩みとは無縁なのが、ニュージーランドの子どもたち。何せ、この国には課題図書もなければ、読書感想文・画の宿題もない。それでは本はどうやって、この国の子どもたちの学校生活に取り入れられているのだろうか?

毎日出る、読書の宿題

「そうか、ニュージーランドの子どもたちは読みたくなければ、本を読まなくてもいいんだ」と思うのは、大きな間違い。読書の宿題は毎日出るからだ。それも必ず最低20分は時間を取るようにという指示つき。小学校の入学直後から中学年まで、夏休みや学期と学期の間の休みのような長期休暇以外、この宿題は必ず出る。

読むのは、各人のレベルに合った薄めの読本だ。子どもたちは読解力によって、クラス内でもレベル分けされているので、適切なものを教師が選び、毎日持たせる。そして子どもたちは、自宅で親を相手にそれを朗読する。低中学年のうちに、本を目で見、声に出して読み、それを自分で聴くことを通して、話の内容だけでなく、ボキャブラリーや言い回しなどを最大限に吸収する。読書の基礎がそろそろできてきたと見なされる高学年になると、自分の好きな本を1日に20分読めばよいとされ、朗読の必要もなくなる。

本は学校生活のそこかしこに

移動図書館の中はこんな感じ。バスの外側から見るより、中ははるかに広く、本もぎっしりだ © Puke Ariki

学校で本に触れる機会は、宿題の読本だけではない。各教室には、今習っていることや、そのときどきで話題になっていることに関連する本が集められたコーナーが設けられており、気軽に手に取ることができる。

また子どもたちは、校内に設けられた図書館に週に1度足を運び、本を借りる。娘の学校の図書館は小さく、そう蔵書数が多いようには思えないのだが、家に持ち帰ってくる、借りた本を見ていると、実にバラエティーに富み、かつ数もかなりのものだということが察せられる。子どもたちが読みたいと思う本やベストセラーは校内図書館で見つかるようになっているのだ。

高学年になると、市内の図書館からやって来る移動図書館を利用することもできるようになる。各エリアを巡回するこのバスの図書館は、週1回学校の前までやって来る。学校の図書館とも、市内の図書館とも違う、この機会を子どもたちは楽しみにしている。

読書環境を充実させようとがんばる親たち

5月末に娘の学校であったブックフェアのパンフレット。中には、お薦めの本が年齢別に紹介されている

校内の図書館が充実している裏には、父兄の努力がある。親たちは、学校の運営資金を得るためにバザーを開いたり、ランチを販売したりする。新しい書籍を買うお金はここから捻出される。ちなみに6月の頭に、娘の学校で書籍購入のために当てられると発表があった額は1,000NZドル(約8万6,000円)。子どもの読書環境を充実させようと親は懸命だ。蔵書を増やす機会が年に数回あるよう、資金調達には余念がない。

また出版社の「ブック・フェア」を定期的に校内で開くのも、図書館の本を増やすのに役立つ。ブックフェアを開催してあがった利益が749NZドル(約6万5,000円)以下であればその10パーセント、それ以上であれば30パーセント分のクレジットをもらうことができる。子どもたちが新たに図書館に入れてほしいとリクエストした本のリストをもとに、クレジットを利用して、本を購入する。

読書家は成功者?

ニュージーランドで子育てをしていると、この国の親が、いかに子どもの読書を大切に考えているかがよくわかる。大げさにいえば、「読書家の子どもは将来の成功者」といわんばかりに、本を読むことを奨励する。これは読書が「国語」の範疇のみに収まるものではないという考えがあるからだろう。数学や科学を勉強するにしても、注意深く読んで正しく理解できるかできないかは大切なこと。本を読んで身に着けたボキャブラリーは、他者とのスムーズなコミュニケーションに、また子どもたちが大きくなると機会が増える、プレゼンテーションに役立つ。就職の面接などの際にうまく面接官とやりとりができるかどうかも、本を読んできたかどうかにかかっているという。

本が与えてくれるものはそれだけではない。子どもたちは自分の周囲では経験できないようなシチュエーションを、本に垣間見ることができる。物語の中で、さまざまな時代を生き、さまざまな場所を訪れ、さまざまな人に出会う。そして考えや感情も多種多様にあることを知る。本をたくさん読んだ人は、柔軟な考えを持つ。これは人間が社会で生きていくには大切なことだ。

ニュージーランド人が考える「読書家の子どもは将来の成功者」というのは、良い仕事に就けるとか、お金持ちになれるとかいう意味もあるのかもしれないが、それだけではなさそうだ。社会の一員としてしなやかに生き、自分というものを持って人生を送ることができる人になる。そんなことも含まれていそうだ。

クローディアー真理/プロフィール
フリーランスライター。1998年よりニュージーランド在住。文化、子育て・教育、環境、ビジネスを中心に、執筆活動を行う。先日あった学校での三者面談で、「子どもたちは『Learning to read(読むために学ぶ)』を経て、『Reading to learn(学ぶために読む)』に進む」という話を聞き、ごもっとも! と、その言い回しのうまさと共に納得。