第27回 さまよえる日本人
丸ノ内線が走るブエノスアイレスの地下鉄B線

「15年ほど前にエクアドルで、10年ほど前にグアテマラでお会いしましたよ」

ブエノスアイレスにある日本人宿で初老の男性に声をかけられた。申し訳ないがすっかり名前も顔も忘れてしまっていた。ただエクアドルのキト、グアテマラのシェラの日本人宿で会ったことだけはなぜかはっきり覚えている。

日本人宿とはオーナーが日本人、または親日家や日本語が話せる現地人などの理由で、日本人がたくさん泊まっている宿のことだ。運び屋の仕事中に現地の友人宅に泊まるのはご法度である。しかし、予算内で条件が合えば、宿泊先のリクエストはできる。ブエノスアイレスでは友人が経営している日本人宿のはす向かいにあるホテルに投宿した。

友人は日本生まれだが、アルゼンチンにすでに50年住んでいる在留邦人である。彼女によれば、震災以後、スペイン語はおろか英語さえもろくにしゃべれないのに、ブエノスアイレスに子供を産みに来る邦人妊婦がけっこういるそうだ。

アルゼンチンは出生地主義である。アルゼンチンで生まれた子供にはアルゼンチン国籍が与えられる。そして、その親にも永住ビザが出る。同じ出生地主義でもアメリカ、カナダ、ブラジルではこうはいかない。おまけに出産費用もアルゼンチンよりはるかにかかる。

以前、この日本人宿では133日分の宿代を宿泊者に踏み倒されるという事件が起きた。犯人は日本で窃盗事件を起こして高飛び中だったことが後に発覚した。ブラジルに逃げたことまではわかっているが、その後の足取りはわからない。捕まったという話も聞かない。傷害事件で海外逃亡中の日本人にボリビアで会ったことがある。彼は薬物中毒だった。まだ捕まっていないとしたら、もう生きてはいないだろう。

10年ぶりにブエノスアイレスで再会した初老の彼は、南米によく来ているらしい。まるで回遊魚みたいだと思った。買春や薬物に現を抜かすでもなく、タンゴやスペイン語を習うでもない。2回も会っているのにまったく思い出せないということは、言っちゃ悪いが影が薄くて印象に残らない人物であるということだ。

バックパッカーデビューして間もなく、痴呆症が出始めた日本人のおじいさんにグアテマラで会った。同じ宿に泊まっていた日本人が協力し合って、なんとか彼を日本まで送り返した。人はひとりで生まれてひとりで死んでいくものとわかってはいるつもりだが、呆けるまで旅を続けるということは果たして幸せなことなのだろうか。

片岡恭子(かたおか・きょうこ)/プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒。同大文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。新宿ネイキッドロフトで主催する旅イベント「旅人の夜」が7年目を迎える。ロックバンド、神聖かまってちゃんの大ファン。2015年現在、48カ国を歴訪。処女作『棄国子女-転がる石という生き方』(春秋社)絶賛発売中!

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