第5回 新しく始めたいことがあったら、ボランティア
自国文化以外の文化を各々楽しもうというイベントのパレードにお神輿をかついで参加。お神輿は、親たちが台座部分を作り、プレイグループで子どもたちがご神体を飾った

日本とは違うニュージーランドの生活。「あれがあれば、いいな」「こうすることができたら、もっと楽なのに」と思うことは多い。しかし、誰かが何かを始めてくれるのを待つというのはどんなものだろうか。自分が期待していることが起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。宙ぶらりんのまま、ということになるのだが。

日本の遊びがしたくてプレイグループ

去年まで積極的に参加していた、ジャパン・プレイグループ。始めてからもうかれこれ10年にもなるだろうか。娘がまだ3、4歳で、ニュープリマス在住の日本人家庭もまだわずかだったころ、お母さんのひとりとおしゃべりをしている中で、「子どもに日本の遊びに親しんでほしいね」という話になった。娘は一人っ子なので、例えば「はないちもんめ」をやりたくてもできない。私はそれを残念に思っていたので、乗り気でもうひとりのお母さんとプレイグループを立ち上げた。もちろんどちらもボランティア。どんな遊びをするかを決め、準備をし、回によってどちらかがリード役を務め、活動を進めた。

最初は各家庭を会場に、持ち回りでやっていたが、だんだん子どもの数が増え、いくらニュージーランドの家が大きくても、やれることが限られていたので、本格的に会場探しをした。希望条件は、キッチンと、雨の日でも運動できる程度のスペースがあって、レンタル代が安いこと、という欲張りなもの。探すのにずいぶん時間がかかった。それでも、自国の文化を子どもに伝えたいという私たちの熱意を買い、「条件がそろわないけれど」と言いつつ、場所を貸すと申し出てくれる人もいて、ありがたかった。結局は奇跡的に条件がすべてそろった、ある学校の講堂を、1回一家族2NZドル(約150円)の使用料プラス使用後の掃除と引き換えに貸してもらい、現在に至っている。

日本の遊びをする時に使うものや、独特の材料もボランティアで工夫を凝らして用意した。私たちが住む小さな町では、おいそれと日本のものは売っていないからだ。小豆の入った布製お手玉がない時は、米を入れた小型の水風船を、どら焼きの皮はミニパンケーキをといった具合に、代用品を考え出した。

準備や活動を通じて学ぶことも多かった。笹飾り以外に何か七夕にできることはないかと探すうち、「索餅(さくべい)」なるものを七夕に食べることを発見したり、お盆のことを調べているうちに京都には子どものための「地蔵盆」を行う習慣があることを知ったり。皆を率いて大変なこと多かったが、ボランティアを買ってでなければ知りえなかったことを知ることができて、ラッキーだったと思う。

プレイグループで生け花にトライ。お花のほとんどは各人のお庭からのもの。華道という観点からは素人だが、日本人が大切にしている季節感は味わうことができたはず

皆に日本語の本が読んでほしくて貸本屋

もうひとつ、本好きの私が別の日本人のお母さんと始めたのが貸本屋だ。うまく事が運ぶようにと考えれば考えるほど、なかなかオープンできなかったのだが、ある日「ままよ!」と、段ボールを本棚代わりにオープンに踏み切った。

読み終わった日本語の本を寄付してもらい、借りている、日本人家庭の納屋を本拠地に、無料で貸し出す。2週に1度土曜に1時間、オープンするのはもちろん、本の仕分けや貸し借り帳簿の記入も行う。私たちボランティアの働きぶりを見て、代役を務めてくれたり、書棚を取り付けてくれたり、差し入れを持ってきてくれたりと、皆、手を貸してくれる。

貸本屋の本は、大人向け、子ども向け、フィクション、ノンフィクションといろいろ。ありがたいことに本の数は増え、利用者も少なくない

今では、貸本屋は在住日本人やその家族、友人の憩いの場にもなっている。本を借りに来る人だけでなく、おしゃべりや情報交換を目的に足を運ぶ人もいるのだ。子どもも大人も和気藹々としているのを見ると、ボランティアをやっていてよかったなと思う。

「あったらいいな」「やりたいな」と思うことがあったら、自分がボランティアとしてがんばることさえいとわなければ、すぐにでも実現可能なのだ。さかのぼれば19世紀、移住者はどこからも遠いニュージーランドを、誰に頼ることもなく、開拓した。ニュージーランド人はその血を受け継いでいて、何かを新しく始めようという人に協力を惜しまない。おまけにあらゆる分野でボランティアが社会を支えるお国柄だけあり、皆ボランティアの価値を知っている。そんな土壌が、外国人の私にも勇気を与えてくれたに違いない。

クローディアー真理/プロフィール
フリーランスライター。1998年よりニュージーランド在住。文化、子育て・教育、環境、ビジネスを中心に、執筆活動を行う。先日、この町に早い時期にやってきた日本人の大先輩が老人ホームに入ったことを聞く。当地在住の日本人家庭は40を超えた。その将来のことを考えると、シニアのためにできることがありそうだと、ふと思う。