第8回 被爆地

毎年、夏が近づくと、長崎各地で原爆の犠牲者を追悼し、平和を祈る催しが行われる。長崎市では8月6日朝8時15分にサイレンが鳴り、広島での原爆投下による犠牲者に黙祷を捧げる。その数日後、同じ惨禍が長崎でも起こることを当時誰が予想しただろう。

立山防空壕

8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典には、世界中から人々が集まる。核兵器廃絶、戦争反対を叫ぶ声は止まないが、終戦から71年、被爆者は高齢になり、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さを次世代に伝えるという負の遺産の継承はますます大きな課題となっている。原爆について子どもに語ることは難しい。しかし、長崎では幼い頃から原爆の話を聞く。特に長崎の小中学生は、夏休み中でも8月9日は出校し、この地で起きたことを必ず聞くのである。

1945年8月9日午前11時2分、長崎市浦上の上空で炸裂した原子爆弾により、多くの人々が爆風と熱線で瞬時に焼かれた。生き残った人も重度の火傷と大怪我を負い、大量の放射能を浴びてさまざまな疾病に苦しみ、子孫の代までも苛まれる。現在までに17万人以上が亡くなった。犠牲者の冥福を祈る黙祷では「長崎の鐘」が鳴り、長崎港、稲佐山、市街地、郊外までサイレンが響き渡る。真夏の太陽より何千倍も何万倍も激しい熱に焼かれ、水を求めて息絶えた大勢の人々。無数の遺骸に埋め尽くされ廃墟となった長崎の街を想像し、原爆の凄まじさに恐怖する。

 

平和祈念像

長崎の平和公園には、彫刻家・北村西望(きたむらせいぼう)による有名な平和祈念像があり、犠牲者を追悼するモニュメントが数多く建つ。公園をさるきながら碑に刻まれた鎮魂の祈りの強さを感じる。隣接する原爆資料館には多くの遺物が展示され、犠牲者の苦しみと原爆の非人道性を伝える。広島の原爆ドームのように象徴的な被爆建造物として旧・浦上天主堂の残骸を遺しておくべきだったという声も聞くが、残念ながら、爆心地に移設された遺壁の一部や、浦上に落ちたままの鐘楼、欠けた聖人像、被爆のマリア像を除き、旧天主堂は撤去され、浦上教会として再建された(第7回「浦上」を参照)。

 

 

片足の鳥居/被爆クスノキ

しかし原爆の爪痕はまだ各所に残る。浦上に近い山王神社の鳥居は、石段の途中に片足で建っており、一瞬で街を破壊した威力と恐怖が伝わる。石段を上れば神社の入口に「被爆クスノキ」の大木を見る。この付近は防空壕にいた少女1名を除き全員が爆死。ボロボロに焼けたクスノキが再び芽吹き、草木も生えぬと言われた中に一筋の希望をもたらした。神社を過ぎてさらに行くと長崎大医学部(旧・長崎医科大)に出る。多数の医師、医学生が講義中に即死。爆風で傾いた門柱、配電室など被爆遺構があり、奥の「グビロが丘」(虞美人草の路の丘)には、ここまで逃げて力尽きた人々が埋葬され、慰霊碑が建つ。

 

救護所メモリアル

浦上から路面電車に乗って長崎駅に向かうと見える「長崎原爆病院」の建物。被爆により現在も闘病する人々を忘れることはできない。長崎市立図書館へ行けば、館内1階に「救護所メモリアル」というスペースがある。ここはかつて新興善(しんこうぜん)小学校で、原爆負傷者の救護所になった。当時を再現し、写真、記録が展示されている。図書館から長崎歴史文化博物館方面を目指し、坂道を上っていくと、立山防空壕がある。岩盤に横穴を掘ったこの防空壕に長崎県防空本部が置かれ、被爆直後の執務に使われた。内部も見学可能で、薄暗く湿っており、外に出ると、今の長崎の景色が奇跡のように思える。

原爆の犠牲になったのは日本人だけではなかった。長崎には朝鮮半島、中国大陸出身の人々、華僑、留学生がいた。敵国人として抑留された欧米人や、倉場富三郎のように居留地で外国人と日本人との間に生まれた者もいた(第4回「居留地」を参照)。浦上の刑務所にいた朝鮮、中国の人々は爆死し、香焼(こうやぎ)や幸町の収容所にいた連合軍捕虜も被爆した。原爆は、国籍、人種、出自などに関わらず、当時長崎にいたあらゆる人間の命を奪い、生き延びた者にも苦しみをもたらした。

 

救護所跡

海に囲まれ古くから軍事拠点であった長崎。現在も国境・離島警備が重視されている。佐世保には米軍基地があり、核兵器廃絶を目指しながら米軍の核の傘の下にあるという皮肉。今年、オバマ米大統領が広島を訪問したのは大きな変化だ。核廃絶のために、世界の為政者や軍事関係者に広島、長崎の原爆による大きな犠牲を自分の目で見てもらうことが非常に重要だと思う。火の海になった街、血みどろの地獄、放射能の恐怖……言葉にできない悲惨さを見て、核兵器は人類全体と地球を滅ぼしうる絶対悪であり、二度と使用されてはならないと知ってもらうために、広島、長崎の被爆地さるきを強くお勧めする。

原爆を落とされた日本は、戦争を放棄している。戦争は人の命を奪い、健やかな暮らしを蝕み、文化を破壊する。だが戦争は、今日も世界のどこかで続く。日本にも、忘れたころにやってくるかもしれない。しかし天変地異や自然災害と違い、戦争は人災である。敵でも味方でも、まず庶民が犠牲になる。国や軍の中枢にいる「偉い人」は簡単に死なないが、庶民はあっけなく殺されるのが戦争だと私は思っている。長崎の原爆の爪痕をさるきながら、庶民として戦争に反対し、核廃絶を求め、平和の大切さを訴え続けていこうと心から思う。

(参考)
長崎市│平和・原爆長崎の鐘
平和公園長崎原爆資料館浦上教会山王神社(片足の鳥居と被爆クスノキ)旧長崎医科大の被爆遺構長崎大医学部キャンパス長崎原爆病院救護所メモリアル立山防空壕外国人戦争犠牲者追悼 核廃絶人類不戦の碑

えふなおこ(Naoko F)/プロフィール
子供時代から多様な文化と人々に触れ、複数の言語教育(日本語、英語、スペイン語、フランス語、韓国語)を受ける。テレビ局、出版社、法律事務所勤務を経てフリーランサー(翻訳、ライター)。