長崎の春の風物詩は桜だけではない、ハタもある。ハタというのは長崎の凧で、白地に青と赤の色で図柄を描いた独特な凧を指す。限られた色でミニマルに表現された図柄は数百種もあり、洗練されて美しい。ハタのルーツは東南アジアともいわれ、中国から長崎に入ってきた。長崎では正月以外にもハタ揚げをする。春になると港を囲む丘や山の頂上で格好の風が吹くから、ハタ揚げ大会が開かれる。風頭(かざがしら)もそうした丘で、山頂がハタ揚げにぴったりな公園になっている。
風頭をさるくには、少し頑張らないといけない。足腰を鍛えていればいいが、坂道に不慣れとか、普段ろくに運動していない場合は辛くなる。長崎市内を流れる中島川にかかる眼鏡橋の辺りから、寺院がずらりと並ぶ寺町に向かう。長崎は、くんちで知られる諏訪神社やカトリックの大浦天主堂、浦上教会が有名だけれど、寺もたくさんある。長崎らしいのは崇福寺、興福寺といった唐寺(中国から長崎に来た人々が信仰の拠所とした)があることだが、それ以外にも多くの由緒ある寺が一列に続くのが寺町界隈の面白さで、寺々の間から「龍馬通り」と呼ばれる石段の坂道が風頭の頂上へ続く。
かつて坂本龍馬が長崎で過ごした折、よく通ったことから名づけられたこの道は、きつくて長い。初めは元気でも上るにつれ無口になってくる。龍馬通りの両側には民家の建物や庭先があり、ここ通れるの?と思えば急に墓地が見えたり、うっそうと茂った草むらがあったり、ちょっとした探検のようだ。観光客だけでなく近所の住民も普段ここを上下すると思うと坂の街の暮らしをひしひしと感じる。しばらく行くと突然視界が開ける空間があり、「龍馬のぶーつ像」というブロンズ製のブーツのオブジェがある。このブーツに足を突っ込んで写真を撮る人は多いが、休むと動きが鈍くなるので長居せず、石段の坂を上り続ける。
やがて、龍馬が仲間たちと興した日本最初の商社「亀山社中」の跡がある。現在は記念館になっており、龍馬ゆかりの品々が展示されている。龍馬は土佐出身だがここ長崎でも活躍した。居留地にいたグラバーと知り合い、勝海舟に学び、丸山の花街で女性にモテた。(グラバーについては第4回「居留地」参照)よく知られた龍馬の立ち姿の写真は、長崎で撮影されたという。龍馬は今でも長崎の人気者で、その証拠に、ようやくたどり着いた風頭の頂上には、びっくりするほど巨大な龍馬像が建っていて、長崎の港をぐっと見据えている。龍馬像の目線で一望する長崎港は本当に良い眺めだ。360度ぐるりと見渡せて、たくさんの坂が海に向かって下りていき、街全体が美しい港を抱く様子がよくわかる。
眼鏡橋付近から風頭まで大人の足で30分~40分位かと思うが、ゆっくりさるいたほうが楽しい。特に桜の季節は非常に美しい。汗を垂らしてきつい坂をさるき、頂上で吹き渡る風を受けながら、龍馬のような個性を受け入れて輝かせた長崎の魅力を改めて考える。変わった人、常識を破る人、時代に先駆ける人。長いものに巻かれるより、失敗してもやってみようとする人。鎖国という古いシステムが崩壊し、何がどうなるかわからない時に、長崎の開かれた港を龍馬は見て、未来に結びつく大きな風を感じて、真先に行動したと思う。今日も長崎に港はあり、風は吹いているが、そこから何かに気づく者ばかりではないだろう。長崎に居た一人の鋭い人間の行動が現代につながっているのを実感しながら青々広がる空と海を眺めていた風頭さるきであった。
(参考)
長崎ハタ資料館/風頭公園/寺町界隈/龍馬通り/龍馬のぶーつ像/長崎市亀山社中記念館/坂本龍馬と亀山社中跡/龍馬とグラバー
《えふなおこ(Naoko F)/プロフィール》
子供時代から多様な文化と人々に触れ、複数の言語教育(日本語、英語、スペイン語、フランス語、韓国語)を受ける。テレビ局、出版社、法律事務所勤務を経てフリーランサー(翻訳、ライター)。