ギニアは、イスラム教徒が大半を占めます。私がお世話になったY宅の運転手Sは毎日5回祈っていました。運転手といってもYの親戚なので、住み込みで家族同然です。
運転していると、時間通りお祈りできないことがあります。けれどSは目的地や休憩所で必ずしていました。知り合いの店やうちに到着し、お祈りしたいというと水の入ったやかんと敷物を手渡してくれます。水で手足や顔を洗い、敷物を広げてその上でお祈りをします。どこにいっても敷物とやかんが置いてあり、快く貸してくれることに驚きました。生活の一部になっているのです。
1日5回祈るイスラム教徒と、年に1、2回神社やお寺にお参りに行く日本人の違いは何だろうと思いました。Sに「毎日お祈りして何の効果があるの」ときくと、反対に「神社やお寺にお参りして効果はあったか」ときかれました。「具体的にあったかどうかわからないけど、心が落ち着いた」と答えると、「僕もそう」とのこと。そのために1日5回、計30分は多い気がしますが、「1日は24時間あるのだから、そのうち30分を神に捧げるのは多くない」といわれれば、そんなものかもしれません。「神道では八百万神(やおよろずのかみ)がいるといわれるのに、アッラーしか神がいないなんて信じられない」というと、「八百万もいるなんて、その方がおかしい」とのこと。確かにどちらも極端で、みんなで思わず笑いました。Sはずっとイスラム教徒ですが、長年祈ったり祈らなかったり中途半端だったとのこと。数年前、こんなことをしていても意味がないと思い直し、真剣に取り組むようになったそうです。それにより心の平穏が得られ、生きやすくなったといいます。Yは普段はドイツ暮らしだし、お祈りはときどきしかしませんが、それでもイスラム教を信じていて、お酒は飲まず豚肉も食べません。
ギニアに義務教育はなく、首都コナクリでさえ水や電気がしばしば止まります。川沿いはごみであふれ、そこで豚や裸の子どもが遊び、あちこちでごみを燃やす煙が上がっています 。 ドイツ人のMは「世界中で、宗教による争いが絶えない。イスラム教徒の自爆テロも増えている。宗教にかける時間が減れば、問題の多くは解決できるだろう」といいます。私は「日本では宗教は日常でほとんど出てこないけど、過労死やいじめなど社会問題は山積み」と反論しました。しかしMは「日本で字が読めない人はいない。義務教育がいきわたり、インフラが整備され、列車やバスは定刻で走り、乳児死亡率も低い」といいます。確かにそのとおり。ギニアに比べれば、日本は何事においても整っています。けれど社会が発展したから宗教の役割が薄くなったのか、それとも宗教にかける時間が減ったから発展したのかはわかりません。
宗教にどういう意味があるのかは人それぞれなのでしょう。暑いギニアで手足を清めひととき神に向かうのは、瞑想と似たようなもので、生活にリズムと意義を見出すことなのかもしれません。祈る人の真剣な顔を見て、そう思いました。
≪田口理穂(たぐちりほ)/プロフィール≫
1996年よりドイツ在住。ジャーナリスト、ドイツ州裁判所認定通訳。
風邪をひきました。咳が出てのどが痛く、ちり紙が手放せない。早く治さなければと、レモンとショウガの輪切りにお湯をそそぎ、ギニアのはちみつをたっぷり入れて飲んでいます。はちみつは遠出したとき路上の物売りから買ったもので、深いレンガ色をして濃厚な味わい。ギニアの強烈な日差しと暑い空気を思い出しつつ飲んでいると、早くも風邪が吹き飛びそうです。