島国の日本、その中で最も島の数が多い長崎県。無人島を含め971もあるという。平戸、五島、壱岐、対馬など歴史上有名な島もあれば、軍艦島のように近年世界遺産になった廃墟の島もある(第9回「軍艦島」参照)。佐世保には九十九島と呼ばれる美しい多島海が広がる。長崎の魅力は島を抜きにしては語れず、さまざまな島を訪ねてみたいが、船か飛行機か、交通手段が限られることもしばしば。しかし、長崎市内から車ですぐに行ける島がある。今回はその伊王島(いおうじま)をさるいてみた。
2005年に長崎市に編入された2つの島々(伊王島と沖之島)をまとめて「伊王島」と呼ぶ。長崎港から10km、高速船で約19分という近さである。現在は伊王島大橋で対岸とつながり、市街地から車で約40分というアクセスの良さ。しかし島の周りの海流は速く、大昔は容易に渡れない時代があった。平家物語の「俊寛」で知られる俊寛僧都は、平清盛によってこの島に流刑にされたと伝えられる(ただし俊寛の流刑地は諸説あり、鹿児島県の喜界島も有名)。詩人の北原白秋は昭和初期に伊王島を旅して俊寛の墓碑を訪れ、歌を詠んでいる。
山がちで潮の流れが速い島は、隠れキリシタンが潜むのにも都合が良かったようである。江戸時代の激しいキリシタン弾圧を逃れた多くの信者が移り住んだと言われる。明治になりキリスト教信仰の自由が認められると島の隠れキリシタンはカトリックに復帰し、美しい馬込教会(沖之島天主堂)を建てた。素朴な島の風景の中にある立派なゴシック様式の馬込教会は、海から島に近づくと最初に目に留まる。現在の天主堂は昭和初期に建て替えられたもので、国指定登録有形文化財である。島民の約60%がカトリックで、行政区域における信徒の比率は日本で最も高い。
昭和の時代、伊王島は炭鉱で賑わい、人口は9,900人超まで膨れ上がったが、軍艦島やその他の長崎の炭鉱と同じく、国のエネルギー政策の転換によって閉山となり、島民も激減した。現在の人口は700人台となってしまった。今の主な産業は漁業と観光業で、長崎市近郊のリゾート地として開発が進む。海水浴場と温泉施設がよく知られており、長崎の中心部から日帰りで遊びに行ける島ということで活路を見出そうとしている。海が見える露天風呂は人気でのんびりできるが、街からバスや車でやってくる人々が通り過ぎていく、どことなくひなびた小さな島の宿命というものを感じる。
島の最北端に伊王島灯台がある。江戸条約(開国後に日本が米、英、仏、蘭と締結)によって設置された灯台で、明治に点灯され、現在に至る。長崎に原爆が落ちたとき爆風で損傷し、一部は建て替えられたが、ドーム型天井は140年以上経た今も使われている。灯台を見るために斜面を上り、目の前に広がる大きな青い海を眺めた。空と海がつながり、何もさえぎるものがない東シナ海、その向こうはもう日本ではない。長崎の小さな島は、大きな世界のすぐ横にあるのだと思う。
◇写真提供協力 (一社)長崎県観光連盟
《えふなおこ(Naoko F)/プロフィール》
子供時代から多様な文化と人々に触れ、複数の言語教育(日本語、英語、スペイン語、フランス語、韓国語)を受ける。テレビ局、出版社、法律事務所勤務を経てフリーランサー(翻訳、ライター)。