第4回麗江でお腹が痛くなるのは- 雲南省・麗江からシャングリラへ その2

麗江の空港から拾ったオンボロタクシーで麗江の市街地へ向かう。抜けるような青空と白い雲、みずみずしい緑の山や樹木を眺めて、砂漠のように乾燥した北京とは違う「優しいところ」に来た気分になった。水田や山の木の雰囲気から日本の田...
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麗江の空港から拾ったオンボロタクシーで麗江の市街地へ向かう。抜けるような青空と白い雲、みずみずしい緑の山や樹木を眺めて、砂漠のように乾燥した北京とは違う「優しいところ」に来た気分になった。水田や山の木の雰囲気から日本の田舎の風景に近いものを感じた。

麗江は雲南省北部の山間部にある観光都市で、世界遺産である麗江古城には瓦屋根の木造家屋が立ち並びその間に石畳と水路が張り巡らされて、情緒ある町並みで有名だ。また多くの少数民族が住んでいて、ナシ族などの民族文化も観光資源として一役買っている。最近麗江には旅行ブームの中国国内だけでなく、それにもまして世界中から観光客が来ている。1996年の大地震から見事に復興を遂げた姿も見たかった。

炒めた米麺

出発の日は朝早くに北京を出て、昆明空港でカサカサのパンしか食べていなかったので、麗江に着いた頃にはお腹がすいてたまらなかった。麗江古城のすぐ前のホテルにチェックインすると、近くの地元の雲南料理の店に入り、「米麺」(ミーシェン)という麺や、きのこのスープなどを注文した。米麺は雲南名物の米の麺で、炒めたものを注文してみた。息子の大好きな米麺なのになぜかあまり箸が進まず、他の料理もあまり食べなかった。

食事の後は玉泉公園へ散歩に出かけた。晴れていれば池から玉龍雪山がきれいに見えるが、夏の麗江は雨が多く、この日は雲で山は見えなかった。でも公園は美しく整備され、ただ緑が多いだけでなく、芝居や踊りの舞台があったり、いろんな場所に象形文字の一種でナシ族が使っていたトンパ文字が書いてあったりと麗江の民俗がよくわかるものだった。またお年寄りが将棋を指したり、民族衣装のナシ族の女性たちが作業の合間に休憩している姿も外から来た者には「絵」になった。しかし息子は機嫌が悪くなってきて、「お腹が痛いの、時々痛くて、時々収まるの」と歩かなくなった。そんな陣痛のような!? よほど違和感があるのかTシャツをめくりあげて「お腹をみてほしい」と主張するのだ。私が楽しみにしていた象形文字のトンパ文化博物館の入り口まで来て、やむを得ずホテルに戻ることにした。

公園で将棋を楽しむ男性たち            お腹が痛いの

旅先で息子が不機嫌になるのはだいたい便秘で、お腹をさすってあげるとよくなる。しかし今回はどうも違う。段々便秘ではないと思い始めた。ホテルに戻る道にあった薬局で念のため一本だけ買っておいた酸素ボンベの出番かもしれない。

家から持ってきた整腸剤を飲ませて、酸素を吸わせてみると、下痢と嘔吐が一気に来た。そのさまに息子は驚いたのか興奮したが、スッキリして少し眠ってくれた。やはり高山病なんだろうか。麗江の海抜は約2400メートル、大人は適応できるだろうが、子どもには無理があるのかもしれない。夜になってまた具合が悪くなり、ひと缶しかない酸素はたちまちなくなってしまった。不安な第1日目だった。

翌日の朝、息子はかなり持ち直した様子だった。それでも朝食にはお粥と考えていたら、チャーハンやフレンチトーストを見た瞬間、油物に「吸着」されてしまった。明らかに無謀だったが、意欲的に食べる姿を見るのはうれしかった。

人も少なく静かな朝の麗江古城は、まだ閉店している店が多く、掃除をする人やものを天秤で運ぶ人がいたり、後から思えば一番風情のある時間帯だった。まずは息子に竹の剣を買い与えると、ブンブン振り回してノリノリで歩いてくれた。古城内の瓦屋根の建物は見事に再建され、ほとんどは土産物店か飲食店の店舗だ。似たものを売っている店がいくつもあり、夜まで団体客が店に出入りしていく。四方街の広場では、時折少数民族の女性たちが踊り始めるのに合わせて、観光客も一緒に楽しそうに踊っていた。麗江古城は世界文化遺産というより、もはやテーマパークだった。でも何よりも驚いたのはトイレだった。地方に行けばトイレの設備や衛生状態には相当な覚悟が要るが、古城の中は何ヶ所も清掃人が常駐する新しいトイレが配置され、5角(1角=0.1元で約7円)払って使用するのだ。これだけ整備されていれば1元払ってもいいような気分だった。

麗江古城            ナシ族の女性たち              麗江古城のトイレ

しかし、少し古城の中心から外に行くとすぐに生活が見えた。その代表が「三眼井」という井戸だ。井戸には3つの水場があり、一番上の一の水場は飲用で、あふれた水が二の水場に流れて野菜などの食品を洗う。二の水場からあふれた水が入る三の水場は洗濯に使う。人々はちょっと休んで井戸の水を飲んだり、シャツや靴を持ってきて洗っていた。水面に浮いたゴミは網ですぐに取り除くメンテナンスもされている。また路地には野菜などの市が出ていて、家からは美味しそうな匂いがしてくるのだった

手前が飲料用の三眼井            古城の外れに出ている市

もう少し遠くまで行きたかったが、息子の様子をうかがいながら、お店で買い物をしたり、店主にお茶をだしてもらっては座っておしゃべりしたりのんびり過ごしたので、古城の外れまでしか行くことができなかった。結局息子はその日はなんとか外で過ごし、高地に慣れてきたようだった。古城にはお粥を出す店もあり、彼の食事は注意深く、白粥と湯葉などお腹に優しい食事となった。翌日はさらに高度が上がるシャングリラへ移動するのだ。

雲南省・麗江からシャングリラへ 続く

林 秀代(はやし ひでよ)/プロフィール
2005年から2008年まで中国・北京在住。現在神戸在住のフリーライター。北京滞在時より中国の旅や生活のエッセイや記事を書いている。帰国後は帰国生の親たちによる教育相談のボランティアや、華僑からの聞き書きもしている。‘99年生まれの男児の母。「北京の青空-その後」