第5回 茶馬古道を行く - 雲南省・麗江からシャングリラへ その3

朝、麗江のホテルにガイドの鄭さんとドライバーとワゴン車が迎えに来てくれた。ガイドの鄭さんはカタコトの日本語を話し、私たち家族はカタコトの中国語を話すので、中国語と日本語の両方で話しが進んでいく。この日は、麗江の郊外の玉龍...
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朝、麗江のホテルにガイドの鄭さんとドライバーとワゴン車が迎えに来てくれた。ガイドの鄭さんはカタコトの日本語を話し、私たち家族はカタコトの中国語を話すので、中国語と日本語の両方で話しが進んでいく。この日は、麗江の郊外の玉龍雪山と石鼓鎮に立ち寄ってからシャングリラに入る予定だ。石鼓鎮とシャングリラは外国人向けツアーでは行けるものがなく、私の希望でスケジュールを組んでもらった。

麗江を出てまずは北へ進路を取り、万年雪が美しい玉龍雪山へ向かった。麗江に着いた日に高地に適応できないからか、腹痛や嘔吐で寝込んだ息子の体調はもう問題なさそうだ。しばらくして山の麓のロープウェイ乗り場に着くと、人をギュッと詰めたような状態で長蛇の行列をつくっていて、一目で気分が萎えた。山頂付近を見上げると、雲は常に移動してはいるがおおむね山を覆っている。鄭さんは、「山頂に登りますか?行列に並んで登っても何も見えないので、後悔すると思います」と言った。私が山頂の標高は何メートルか聞くと、「5500メートルぐらいです」という答えが返ってきて、私たちは「登りません!」と即答した。やっと息子の体が慣れて、高度3000メートル級の場所へ行こうという時に、一気に5000メートルまで登るなど、私たちにはとてもできなかった。

ともあれ、せっかく玉龍雪山のふもとまで行ったので、近くの白水河でしばらく過ごすことにした。玉龍雪山からの石灰質を含んだ水が流れてウロコの形のように固まり、いくつも川に石灰棚をつくっている。水はきれいな透明だが当然冷たく、川遊びをしたくても少しの間足を入れるのが精一杯だった。息子はヤクにまたがって川に入り、写真を撮ってもらった。

1.白水河から雲に覆われた玉龍雪山をのぞむ              2.白水河の石灰棚

いったん麗江方面に戻り、なぜか鄭さんの忘れ物を自宅まで取りに行くという、あまり納得のできない寄り道をして今度は車を西へ走らせた。

数十キロ走ると、滔々と流れる泥の川が見えてきた。北から南へ流れていた長江(揚子江)上流の金沙江が、大きく「V」字に湾曲して北西へと流れを変える長江第一湾だ。岸にあふれんばかりの水が静かに大きく「動いている」のは、堤防のある川しか知らない私は、なんだか怖さを感じた。

3.長江第一湾                    4.映画「単騎、千里を走る」の橋

石鼓鎮は、長江第一湾の「V」の字の一番下にある、小さなナシ族の村だ。チャン・イーモウ監督、高倉健主演の映画「単騎、千里を走る」のロケ地として2005年の公開以降中国全土で有名になった。DVDで映画を観た息子は、自分と同い年ぐらいのヤンヤンという役の少年に親近感を持ち、「ヤンヤンに会えるかなあ」と、石鼓鎮に行けばヤンヤンに会えると思っていた。ヤンヤンはオーディションで選ばれたので村の子供ではないが、村長役は本当の石鼓鎮の村長で、他にも多くの村民が映画に協力した。それでも団体で観光客が来たり、土産物店があるわけでもなく、村では穏やかな日常があるだけだった。映画で登場した橋は両側に瓦屋根のある門があり、この村がかつて交易で繁栄したことをうかがわせる。少年たちが次々と橋の上から川へ飛び込むのを見ながら、私たちは橋を渡っていく人々をしばらく眺めていた。村の中は狭い路地と石段の坂に沿って家が段々に並んでいる。息子が鄭さんに買ってもらったアイスキャンディーを食べながら石段を跳ね降りたり、犬に追いかけられたり、草を抜いて笛をつくってもらったりしているのを見ていると、子供の頃夏休みに行った祖母の家の近くの風景を思い出し、もっと居たい気分になった。

5.石鼓鎮の集落       6のどかな石鼓鎮の食堂

石鼓鎮に後ろ髪をひかれながらも北へ向かい、シャングリラを目指す。石鼓では7月の強い日差しが差し込んで暑かったが、山の中を走っていくいうち、気温が下がってきて、半袖ではいられなくなってきた。遠くに見える高い山と草原、そしてお花畑が時々うっすらした霧のベールの合間に広がり、なぜか草の緑がそれまでと違う濃縮したような濃い緑色に見えた。太い材木を使ったチベット式の家や色とりどりの祈祷旗など初めて見るチベットの集落を夢の中のように眺めていた。後から思えばこの車窓の景色は本当に美しいものだったと今も時々思い出すのだ。

7大きなチベット族の家         8シャングリラ近郊のお花畑

麗江からシャングリラへ行く道は、茶馬古道の一部で、雲南でつくられたお茶、塩、布などをチベットへ、チベットからは毛皮や漢方薬などの交易が昔から盛んに行われてきた。チベット族はチベット自治区だけでなく、シャングリラなど雲南省北西部にも住んでいるが、雲南省内ではチベット族居住区への立ち入りで外国人が許可証を求められることはない。シャングリラ (漢字表記:香格里拉)という想像力をかきたてられる地名は、実は2001年に「中甸」から改名されたもので、イギリスの作家、ジェームス・ヒルトンの小説、『失われた地平線』の中の「桃源郷」を表した「Shangri-la」からあやかったものだといわれている。

シャングリラの街にあるホテル近くでは、ヤギやイノシシなどの動物が「散歩」していて、通りを歩いていた私たちはさすがに戸惑った。チベットの客人へのもてなしであるミルク入りのバター茶とヤクのチーズは案外美味しくいただいたが、私はなぜか夕食がほとんど食べられなかった。

雲南省・麗江からシャングリラへ 続く

林 秀代(はやし ひでよ)/プロフィール
2005年から2008年まで中国・北京在住。現在神戸在住のフリーライター。北京滞在時より中国の旅や生活のエッセイや記事を書いている。帰国後は帰国生の親たちによる教育相談のボランティアや、華僑からの聞き書きもしている。インターナショナルスクールに通う息子のミドルスクールへの進学が決まり、ホッとしたこの頃。http://keiya.cocolog-nifty.com/beijingbluesky/