第6回 洗濯

LINEで送る

連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)

私にとって、サモアでのいちばん懐かしいときとは、洗濯の時間だったのかもしれない。スイッチポンで洗って乾燥までしてくれる今となっては、「洗濯の時間を失った」と言っても過言ではない。

サモアでは、できるかぎりシンプルライフ、スローライフに挑戦しようという意識を持って暮らした。その結果、日本ではあたり前にあった、便利な道具や機器を排除する生活となった。

コーヒーメーカーなどなくてもヤカンひとつあれば、コーヒーは入れられた。掃除機はなくとも、ほうきと雑巾さえあれば掃除はかんたんにできた。炊飯器はなくとも、大きな鍋でご飯は炊けたし、電子レンジがなくて困ったことはない。

どっこい、洗濯機がないのは堪えた。家族6人分の洗濯物をバケツに入れて、バスルームで毎日手洗いした。洗い、すすぎ、絞り、干すという流れの中で筋肉痛になってしまい、腰は痛いし、手はあがらなくなって悲鳴をあげた。

常夏の国だから、洗濯物自体は薄手のものしかない。それでも、シーツやバスタオルを洗って絞るとなると、かなりの重労働だった。あらためて、洗濯機に感謝し、洗濯機を持てなかった時代に生きていた人々のことを想った。もちろん、目の前のサモアの人々だって、ほとんどの人は持っていない。

筋肉痛に顔をゆがめながら、これはちょっと厳しいかもと思い始めた頃、痛みはなくなった。なんてことはない、洗濯用筋肉がついてきたのだ。それからは、子どもを学校に届けた後、朝のコーヒータイムを済ませると、鼻歌を歌いながら洗濯というのが日課だった。

手洗いした洗濯物を青空の下でパンパンしながら干す。空を仰ぐと真っ白い雲がぽっかり浮かんでいる。鶏の鳴き声がこだまする。ほのかな洗剤の香りと、常夏の気候の中で咲き乱れる花の匂いとが混じりあい風に運ばれる。

今想えば、私にとってはそれがサモアの懐かしい香りであり、自然を感じる時であり、大切なメディテーションの時間でもあった気がする。

≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年、受験のない世界での、のんびりゆったり子育てと、シンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住。4年間、南国生活を楽しむ。思春期に向かう子どもたちにとっての、より適切な環境を模索する中で、2001年より、アメリカ合衆国、ミシガン州に在住。