5 あえて「完璧なバリアフリー」を目指さないロンドン/英国

ロンドンでは今夏、五輪に引き続き、障がい者スポーツの祭典・パラリンピック(以下、パラ)が開かれた。いうまでもなく、パラでは選手はもとより、多くの車イスユーザーがロンドンを訪れた。

一度でもロンドンを歩いたことのある人な...
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ロンドンでは今夏、五輪に引き続き、障がい者スポーツの祭典・パラリンピック(以下、パラ)が開かれた。いうまでもなく、パラでは選手はもとより、多くの車イスユーザーがロンドンを訪れた。

一度でもロンドンを歩いたことのある人ならお分かりの通り、この街では階段を昇り降りする機会が多く、石畳の道路もあちこちに残っている。重いスーツケースを運ぶのに地下鉄構内でたいへんな思いをした人も多いだろう。

さて、パラが開かれるのに当たり、「市内のバリアフリー化が進むだろう」と思っていたらそれは大間違いだった。19世紀後半にできた地下鉄駅を改造することなど到底無理だ。果たして、バリアフリーを解決せぬままパラの開催都市としての責任は果たせたのだろうか?

ロンドン交通局が考えたのは「競技会場へのステップフリールートを一つでも確保しよう」という戦略だった。あらゆる地下鉄駅に「○○会場への車イスルート」とステッカーを貼り付け、そこへの誘導を図った。主要駅のエレベーター付近にはボランティアを集中投入、車イスユーザーへのケアを怠らなかった。

さらに車イスによる市内移動は、名物の2階建てバスが多用された。ロンドンのバスはほぼ全台が車イス用のスロープを備えており、運転手がヘルプすることなくバスに乗り降りできる。これなら地下鉄の階段を上り下りする手間も回避できる。

市街地でのバリアフリーが不十分にもかかわらず、ロンドンを訪れた障がい者がより不自由なく街に出られたのは、交通機関の職員や大会ボランティアの力添えはもちろん、「普通の市民たち」の小さな助け合いの心があったからだろう。「困った人がいたら助ける」「弱者がいたらみんなでかばう」といった暗黙のルールが浸透。結果としてパラの大成功につながったと言っても過言ではない。

「部分的なバリアフリー」でもなんとか大きなイベントを乗り切ったロンドン。スロープを次々と作ることだけがバリアフリーではない。「人々の知恵と力、それにわずかな気遣い」で障がい者への対応ができる社会こそが、本来の「バリアフリー」の形なのではないだろうか。

伊藤雅雄(いとうまさお)/プロフィール
2007年からロンドン在住。旅行会社のスタッフとして、手配業務にかかわる傍ら、現地で起こるさまざまな「コト」について、日本の各種媒体に寄稿。ロンドン五輪&パラリンピックの際には、さまざまな情報を連日送稿した。