第1回 扉を叩いた日

何事も一回目よりは二回目、一人目よりは二人目――経験は人を学ばせ、賢くする。
9年前、フィンランド人の夫の母国に7か月の長男と移住してきた頃、私は右も左もわからない外国人だった。言葉もわからないまま交流を求めて、公園とお...
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何事も一回目よりは二回目、一人目よりは二人目――経験は人を学ばせ、賢くする。

9年前、フィンランド人の夫の母国に7か月の長男と移住してきた頃、私は右も左もわからない外国人だった。言葉もわからないまま交流を求めて、公園とおぼしきものめがけてベビーカーを押して出かけて行ったあの頃。540万人と人口が少ないだけでなく、7割以上が共働きという国で、公園デビューをしようにも、まず人の気配がある公園というのが見つからない。

数ヵ月後、なんとか街で一番大きな公園を見つけて通うようになったものの、そこに集うフィンランド人親子の輪の中には、私も長男も入っていけなかった。私がフィンランド語ができないから、息子と遊びたそうに寄って来る子どもたちと息子の間をうまく仲介できない。言葉なんてわからなくてもなんだかんだで遊びの輪の中に飛び込んで行く――そういうタイプの子どもだったらまだしも、長男は言葉の発達が遅れていただけでなく、大の人見知り。このままでは、この子はいつまでたっても言葉を学ばず、誰とも遊べない――焦りに焦った浅知恵の母は息子が2歳になったところで保育園の門を叩いた。園から50メートルの距離のところで、事態を察知して泣きわめく長男。ごめん、ママを許して――こんな思いは二度としたくなかったので、4年後に次男を出産したときに、私はありとあらゆることを調べ尽くし調べ倒す「準備周到母さん」になっていた。

そんなわけで、次男出産後の1か月検診にて、次男の計量を一通り終えた看護師に食らいつく。「あの、この子を育てていくのに、母子ともども孤独になりたくないんですけど、何か赤ちゃんとお母さんで集まるグループとか施設はありませんか?」

ここで「あら、公園に行けばいいじゃないですか」などという答えを聞こうもんなら、もう噛みついてしまうんじゃないかとおもったので、かぶせて言う。

「公園とかじゃだめなんです。長男の時で失敗してますから。そりゃね、あの当時に比べたらまだフィンランド語はマシにはなりました。でも私は、家で文章を書く以外、他のフィンランド人とはほとんど交流が無く、長男の保育園の先生たちと長男の一日の様子についてなんとかフィンランド語でやりとりするのが精いっぱいなんです。英語ならこの通り、結構普通にしゃべれます。確かにフィンランド人も英語がしゃべれるけれど、シャイですよね。とりわけ育児休暇に入ってるお母さんたちは、英語で話すなんていう無駄な労力を使いたくないみたいで、わざわざ外国人なんかと交流したがりません」

長い長い人生の中で、これほど一生懸命に何かの情報を引き出そうとしたことはあっただろうか。しかも当時私たちが住んでいたケラヴァは、ヘルシンキから北に30キロも離れたベッドタウン。外国人の数もそう多くはない。あまり多くは期待できないけれど、なかばやけくそで私はまくしたてていた。

すると――「ああ、それなら」という表情で、看護師は引き出しの中から黄色い一枚の紙を差し出した。

「ペルヘケルホ(Perhekerho)という、外国人が赤ちゃん連れで集まれるグループがありますよ」

きゃーほんと、マジですかー?――心の中の絶叫を隠し、看護師に深くお礼を言うと、いそいそともらった紙を鞄にしまい、家路についた。

それからまた8か月、毎日どこで何をしていたのか当時の記憶はない。が、長男の保育園があるおかげで、次男は朝と夜が逆転することもなく、わりとすんなり普通の生活リズムにとけこんでいった。それが一層安定してきた9か月の時、私は例の「ペルヘケルホ」を地図で探し、その門を叩いた――といっても、ごく普通のアパートの1階の部屋だったのだが。

ピンポーン

恐々押したドアベルの音に反応して、中からガチャリとドアが開く。

「あの、ネウヴォラ(保健センター)で教えてもらったんですけど」と例の紙を見せると、中へ入るよう促された。この時ケルホの誰が何と言って迎え入れてくれたのかも記憶が無い。

はっきりしているのは――私が日頃見慣れた風貌のフィンランド人ではなく、一目で外国人だとわかる女性たちが部屋のあちこちに赤ちゃん連れでいたという事だけだ。この街にこんなにたくさんの外国人がいたなんて――それらの人ごみの中から、フィンランド人の職員が二人出て来て私に自己紹介をした。メリヤとパウラ――この日を境に、彼女たちとの3年以上にも渡るお付き合いが始まった。

靴家さちこ/プロフィール
1974年生まれ。フィンランド在住ライター。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、フィンランド系企業を経て、結婚を機に2004年よりフィンランドへ移住。「marimekko(R) HAPPY 60th ANNIVERSARY!」「Love!北欧」「オルタナ」などの雑誌・ムックの他、「PUNTA」「WEBRONZA」などのWEBサイトにも多数寄稿。共著に『ニッポンの評判』『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』(グラフ社)などがある。フィンランド直送のギフト店『Lahjapaja(ラヒヤパヤ)』の経営者。