第4回 移住して見えてきたデンマークの内側 ~高福祉国家のジレンマ~

デンマーク研究を断念した私は、とりあえず世間体を保つために、そして「社会人」になるために北欧系メーカーの日本支社に就職した。働き口を得られただけで有り難かったし、北欧系なのでちょうどいいと思ったが、実際に働き始めると仕事...
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デンマーク研究を断念した私は、とりあえず世間体を保つために、そして「社会人」になるために北欧系メーカーの日本支社に就職した。働き口を得られただけで有り難かったし、北欧系なのでちょうどいいと思ったが、実際に働き始めると仕事内容が全く自分の性に合っていなかった。研究の後半戦は自分がどん底にいるような気がしていたが、就職してから、どん底にはさらに下があるのだと知った。仕事で疲弊する日々が続いた。

その頃の私はデンマーク人である今の夫との遠距離恋愛をしていた。日本で仕事に追われる日々を送っていても彼との将来は見えなかった。そんなとき、日本とデンマーク間にワーキングホリデーの制度があることを知り、1年間デンマークに滞在してみるのも悪くないと思うようになった。どん底だったので、正直、日本を離れても失うものは何もない気がしていた。

清々しい気持ちでデンマークに渡航したのは2009年12月。寒くて暗い時期だった。それでもやっと負のスパイラルから脱出できそうな予感がして気分は盛り上がっていた。「デンマークの内側を覗ける」そう思うだけで楽しくなった。さっそくブログを立ち上げ「世界一幸せな国」デンマークの内側をレポートすることにした。自分のなかでデンマーク研究熱が新たな形で再燃しているのを感じた。その情熱は、修士論文に取り組んでいたときよりも、もっと自然なカタチで心の奥底から湧き出てくる情熱だった。「これは面白くなるぞ」と確信した。

もみの木に本物のキャンドルを灯したクリスマスツリー

デンマークに住んでまもなく、1年のうちで最も盛り上がる伝統行事クリスマスと、女王のスピーチを聞いてから打ち上げ花火を楽しむ年越しを体験した。彼の家族は異国から来た私を大歓迎してくれ、家族の一員のように接してくれた。おかげで私は早々からデンマークの家庭にすっかり入り込んだ気分になれた。また、年明けには無料のデンマーク語学校に通い始め、いい教師や仲間に巡り合えた。カジュアルで実践的な授業は新鮮で、毎日学校に通うのが楽しかった。デンマーク生活は順風満帆に進み、住めば住むほどデンマークの印象は良くなっていった。「ここなら住める。ここで暮らしたい」と自然に思うようになった。

だが、彼との結婚を決めてからが大変だった。当時右寄りであったデンマーク政府は厳しい移民規制を進め、配偶者ビザの申請にも厳しい条件を付けていた。EU圏内の外国人は気軽にデンマークに住めるのに、EU圏外の外国人には「立ち入るな!」と言わんばかりの移民政策であった。私は「デンマーク人と結婚してもデンマークに住めるわけではない」という厳しい現実を前にショックを受けた。たった2年間の配偶者ビザを取得するために、約100万円に上るデポジットの支払い(デンマーク語試験に合格すると半額返金され、永住権を取得すると全額返金される)、意味不明に厳しい住宅要件を満たすこと、デンマーク人である夫が国から経済的支援を受けていないという証明、その他諸々の面倒な手続きが必要だった。さらに、移民局の対応も酷かった。勇気を振り絞って移民局に電話を入れても、最初から「怪しい外国人」と疑ってかかったような冷たい態度をとられた。歓迎されていない感がひしひしと伝わってきて憤りと悲しさでいっぱいになった。おかげで数ヶ月後に無事に配偶者ビザを取得できたときには歓喜したと同時に、気が抜けるような安堵感があった。

配偶者ビザの住宅条件を満たすために必死に見つけた賃貸アパート

もちろん、デンマークが抱えているジレンマも理解できる。高福祉国家には当然移民が押し寄せてくる。だが、すべての移民を受け入れ、皆に平等に福祉を提供できるほどの経済的・精神的余裕はデンマークにはない。一般的に移民は仕事を見つけて税金を納めるのが困難なので、国の重荷になりがちである。デンマーク人から見れば、自分たちが支払っている高額の税金が働かない移民の福祉へ回ってしまうのでは面白くない。そういう意味では、デンマーク政府がそんな国民感情を汲み取って厳しい移民政策を推し進めようとするのもわからなくはない。

高福祉国家のジレンマといえば医療制度もその1つである。医療は無料というと聞こえがいいが、問題は医療の質である。何かあればまず担当医に相談するシステムになっているのだが、それはすぐに専門医に診てもらえないことを意味する。まず担当医に症状を説明し、担当医が専門医を紹介してくれて初めて専門医にかかれる。しかも、専門医には長い待機リストがあり、数週間待ちから数ヶ月待ちなんてざらである。救急診療の待ち時間も数時間にわたることがあり、実際、待機中に手遅れになるケースも少なくない。医療費はすべて国民の税金で賄っているので、できるだけ経費を抑えようとするのはわかる。だが、無料でも不安感を覚える医療制度と、有料でもいざというときに安心して利用できる医療制度とどちらがいいのか……。ここにも高福祉国家のジレンマがある。

デンマークで実際に暮らしてみると、文献を読んで研究していたときにはベールに包まれていたリアルな人びとの暮らしや社会が見えてくる。頭でわかっていても感覚として掴めなかったものがストンと理解できるようになる。デンマーク研究を経てデンマークに移り住んだ私は「生活者」であると同時にいつまでも「観察者」である。「生活者」としては壁にぶつかることも嫌になることもあるが、「観察者」としてはいい体験もイヤな体験もすべてひっくるめて実に面白い。

針貝有佳(はりかいゆか)/プロフィール
デンマークのライター兼トランスレーター。東京・高円寺生まれ。現在、デンマークの首都コペンハーゲンで夫と娘と3人暮らし。早稲田大学第二文学部を卒業後、早稲田大学社会科学研究科で「デンマークの労働市場政策」について研究し、修士号取得。その後、デンマーク人の夫と結婚し、デンマークに移住。現地のナマ情報・発見・感動をウェブや雑誌から発信するほか、翻訳やリサーチも手がけている。

ネットで読める主な記事
北欧、暮らしの道具店HPのデンマーク特集
ラジオ番組 Eco Action World出演
エキサイトのコネタ
地球の歩き方コペンハーゲン特派員ブログ(更新は6月に終了)
SoDaTsu comデンマークの子育て事情
ANAコペンハーゲンガイド
北欧じかん寄稿