第4回 中年の学生たち

仕事から戻った夫が、言葉を少しずつ話し始めた幼い息子とビデオを見ている私に言った。
「家でずっと子どもと遊んでるつもり?」
夫は私に、何か定職を持つようにとなじった。しっかり子育てをしているつもりだった私には、意外な言葉...
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仕事から戻った夫が、言葉を少しずつ話し始めた幼い息子とビデオを見ている私に言った。

「家でずっと子どもと遊んでるつもり?」

夫は私に、何か定職を持つようにとなじった。しっかり子育てをしているつもりだった私には、意外な言葉だった。夫はさらに、自信がないなら学校に戻って技術を身に付けろ、と言った。半年以内に何をするか決められなければ、私を看護師学校に登録すると張り切っていた。実はこの当時、カリフォルニア州では看護師不足をマスコミが頻繁に報道しており、仕事が見つかりやすいと思われていたからだ。

私は涙を流しながら考えた。地味でも確実に仕事があること。医療保険も欲しい。夫は何も手伝ってくれないので、一人でリサーチを始めた。そして数ヶ月。臨床検査技師になろうと決めた。近所のコミュニティカレッジで、超音波、レントゲン技師といった医療関係のコースがあることを知った。直感で、脳神経検査技師を選んだ。正式に認可された脳神経検査のプログラムを提供する学校は、全米に20校ほどしかない。卒業生は全員就職している。しかも手術のモニタリング、という新しい分野が伸びているというのは魅力だった。国家登録試験に受かれば、米国内どこの州でも働けるというのが決め手になった。

45歳で、幼児二人を育てながらの学生生活が始まった。20人ほどのクラスメートは、19歳のジャスティンが最年少で、リタイアした60歳くらいの男性まで。その多彩ぶりに驚いた。全員に共通していたことは、「技術を習得し、確実に仕事を見つける」ということ。2007年に米国バブルが崩壊し、景気に左右されない確実な仕事として、医療関係に注目する人が増えている。私が通ったコミュニティカレッジでは、人気のあるレントゲン技師のコースは5年待ちだった。

スタディグループの仲間となったマイクは、私より2歳年上で、もと救急医療士。二人の息子を持つパパだ。仕事で腰を痛めたので、学校に戻って来た。節約するためにマイカーでなくバス通学し、毎日弁当持参でがんばっていた。

やはり仕事で腰を痛めたというロッドは、ずっと専業主夫をしていた。医療セールスで稼ぎまくっていた奥さんから、「仕事に戻って欲しい」とせかされてプログラムに入った。彼も40歳を越えていた。

私の親友となったボリビア出身のカルメンは、住宅ローンの仕事をしていた。リーマンショックで仕事がなくなり、キャリアチェンジを決めた。彼女も40代だったが、成績はクラスで一番となった。現在は名門スタンフォード大学の病院で、モニター技師として活躍している。

クラスメートは全員就職先が見つかり、カリフォルニア州の名門病院で検査技師として働いている。先日、検査技師の会合でクラスメートと再会した。友人たちとの会話は、「効果的によい検査をするためのテクニック」に集中した。中年技師、ばんざい!

伊藤葉子(いとう・ようこ)/プロフィール
ロサンゼルス在住ライター兼翻訳者。米国登録脳神経外科術中モニタリング技師、米国登録臨床検査技師(脳波と誘発電位)。訳書に『免疫バイブル』(WAVE出版)がある。