第3回 ポーランド児童文学の世界へ

ポーランド語を勉強し始めて2年目の夏、初めてポーランドに行くことになった私には、必ず買って帰ろうと思っていたものがあった。それは、ポーランド語で書かれた本。インターネットを経由すれば手軽に世界中の本が手に入る今とは違って...
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ポーランド語を勉強し始めて2年目の夏、初めてポーランドに行くことになった私には、必ず買って帰ろうと思っていたものがあった。それは、ポーランド語で書かれた本。インターネットを経由すれば手軽に世界中の本が手に入る今とは違って、当時はポーランドに行かなければ手に入れることができなかった。大学在学中にもう一度行くかどうかも分からないポーランド。この機会にできるだけたくさんの本を持って帰りたかった。とはいえ、ポーランドではどんな本がよく読まれているのだろうか。

ポーランド最大の児童書フェアの様子。人気絵本のキャラクターも登場。(2014年春)

最初に本屋で手に取ったのは『Ferdynand Wspaniały』というポーランド人作家ルドヴィク・イェジィ・ケルン(Ludwik Jerzy Kern)による児童書だった。『すばらしいフェルディナンド』の邦題で岩波書店からも出版されている。私たちの学年は3ヶ月後の外語祭(東京外国語大学の学園祭)で、その本を元にしたポーランド語による劇を上演することになっていた。日本語版を使いながら手分けして台本を書き進めていたので、原書があればポーランド語に訳す際の参考になると思ったのだ。私自身、1963年に初版が出て以来、今日までポーランドの子どもたちに人気のあるその本が、どのような言葉で書かれているのかということに関心があった。

書店の児童書売り場でその本を見つけたとき、同時に目に入ったのが、日本では見たことのないポーランド児童文学の数々だった。ポーランドの子どもたちはどのような本を読んで育っていくのか無性に知りたくてたまらなくなった。

私は子どもの頃から本を読むのが大好きで、いつも傍らには本があった。私が子どもの頃に読んだ本を懐かしく思い出すように、ポーランドの人たちにも「思い出の本」というのがあるはずだ。そこで、そのとき書店めぐりに付き合ってくれていたミルカさんのアドバイスを受けながら、子ども向けの本を次々とかごの中へ入れていった。かわいらしいイラストが入った本でいっぱいのかごを見ながらミルカさんが「友美さん、子どもみたい」と笑いながらいっていたことをふと思い出した。

19世紀後半生まれの作家コルネル・マクシンスキ(Kornel Makuszyński)の代表作『まぬけなヤギのぼうけん』(1933年)は今も人気で、もちろん娘もお気に入り。

初めてのポーランド訪問から帰国して、次第にポーランドの児童文学そのものに関心を抱くようになった大学3年生の春、またとないチャンスがめぐってきた。ポーランドの児童文学作家として、特にティーンの間で人気のあるマウゴジャータ・ムシェロヴィチ(Małgorzata Musierowicz)の作品を翻訳されている田村和子さんが、1年間研究生として外大にいらっしゃるというではないか! さらに田村さんをお迎えして、ポーランド児童文学勉強会が週一回開かれることになり、私も参加することになったのだ。「児童文学の翻訳」というのは、当時の私にとって憧れの職業だったこともあり、実際に翻訳をされている方の生の話が聞けることは、貴重な経験だった。また、同じ興味を持つ先輩・後輩との時間も心地よかった。

そんな一年を経て私が決めた卒業論文の題目は『ポーランドの小学生用国語教科書における詩の扱いについて』。ポーランドの国語の教科書は分厚く、詩もたくさん掲載されていたので、それを訳す作業は夏休み中費やしても終わらないほどに大変だったが、小さな子ども向けのリズミカルな詩から大人も読むような抒情詩まで、様々な詩人の多種多様な詩に触れられたことで、ポーランド文学に対する理解が深まったように思う。

中でも一番気に入ったのが、ヨアンナ・クルモーヴァ(Joanna Kulmowa)という詩人の詩だった。お母さんと一緒にいられる子どもの喜びを表現した詩や、雨の中で傘の子どもたちが生まれるといったファンタジックな詩、音楽のマズルカと復活祭に食べられる“マズルカ”ケーキをうまくかけあわせたかわいらしい詩など、そのどれもが私の心に響いた。

結婚してポーランドに住み始めてから出会ったのが、『ハイドー、レオカディア!』という児童文学作品だ。児童文学作家としても活躍する彼女の代表作だった。詩作品とはまた違った趣の、空想が広がるファンタジーの世界。それを読んで感動した私は、出版社宛てにファンレターにも似たメールを出した。2005年のことだった。「いつかこの本を翻訳して日本に紹介できたらと考えている」というような内容だったかと思う。そんなメールに対して、クルモーヴァさんご本人からお返事をいただけたことで、思いがけず手紙による交流が始まった。

1928年生まれのクルモーヴァさんは、当時77歳。メールより手紙を好まれ、おかげでその筆跡から、より彼女の人柄が伝わってきた。日本という遠い国からやって来たあなたに作品を気に入ってもらえて嬉しい、と何度もいってくださるクルモーヴァさんご夫妻とは既に何度かお会いしている。その都度、特に大人向けの詩作品ににじみ出る哲学的な人生観やお二人の歩んできた決して平坦とはいえない道のりについて語ってくださるので、興味深いお話に時間はあっという間に過ぎてしまう。そして、素敵な作品の数々が生み出される秘密をこっそり教えてもらえたような気持ちになるのだった。

私のクルモーヴァ作品コレクション。本の多くはもちろんクルモーヴァさんのサイン入り!

クルモーヴァさんと文通させていただくようになってからもうすぐ10年。ちょうど同じ頃に始めたポーランド在住ライターとしての仕事の中で、ポーランドで有名な小説やポズナンの児童書専門店を紹介したり、ポーランド最大の児童書フェアを取材したりする機会には恵まれたが、クルモーヴァ作品を翻訳して日本に紹介するという夢は今のところ空振りばかりで、実現されてはいない。もうすぐ87歳になられるクルモーヴァさんがお元気なうちにひとつでも形にするというのが当面の目標だ。同時に、成長していく娘と共にポーランド児童文学の世界を楽しんでいければと思う。

スプリスガルト友美/プロフィール
ポーランド在住ライター。私の両親がしてくれたように、娘にはずっと絵本の読み聞かせを続けている。日本語とポーランド語両方の絵本を読んであげているのだが、幼稚園に通う今は圧倒的にポーランド語の理解度のほうが高い様子。それでも、私にも思い出深い『ぐりとぐら』や『だるまちゃんシリーズ』がお気に入りの娘に、少しでも多く素敵な日本語の本も知ってもらいたいと思っている。ブログ「poziomkaとポーランドの人々」