第6回 時代を超えて変わるもの、変わらないもの

私がサンフランシスコ・ベイエリアに移住したのは今から17年前。その時初めて借りたアパート代は広めの1ルームで$700 (約8万円)だった。一杯のコーヒーは$0.90、ガソリンは1ガロン$0.99で買えた時代。今では、1ベ...
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私がサンフランシスコ・ベイエリアに移住したのは今から17年前。その時初めて借りたアパート代は広めの1ルームで$700 (約8万円)だった。一杯のコーヒーは$0.90、ガソリンは1ガロン$0.99で買えた時代。今では、1ベットルーム(独身者向けの大きさ)の家賃の平均値は$3,500(約40万円)、コーヒー一杯は$3.50、ガソリンは1ガロン$4.25に跳ね上がっている。家賃高騰の原因は、お隣街のシリコンバレーからITマネーが溢れているからだ。市内は建設ラッシュが続き、新しいコンドミニアム、アパートが次々に建設され、IT 関連の若いお金持ちが新入居している。当然ながら物価も高騰中。昔ファーマーズマーケットで安いと思って買っていたオーガニックの果物や野菜も今では富裕層に流れている。人気のレストランに行けば1人$100超えはざらで、それでもどこも平日でも満席だ。今やサンフランシスコはNYを超え、全米一家賃が高い都市になり、街はこの5年ですっかり様変わりしてしまった。(それでも依然、魅力的な街には変わりはないが……)

「チーズボードピザ」のビジネスモデルは、バークレー以外、ベイエリアに他4件ある

先日、サンフランシスコ湾対岸の町、バークレーに仕事に行った際、昔住んでいたノースバークレーに立ち寄った。この日会ったバークレーの住人からも、「この辺も家賃が高騰していて生活が大変なんです」という悲鳴を聞いたので、ノースバークレーも当然変わったかなと思いながら、昔大好きで良く通っていたオーガニックピザ屋に足を向けた。しかし良い形で予想は外れた。この町の風景は変わりなく、昔ながらの古いスタイルのカフェやコーヒー屋が並び、バークレーらしいヒッピーぽい住人たちの姿が町に溶け込んでいた。そのピザ屋「チーズボードピザ」は、店舗を拡張していたものの、雰囲気は相変わらずで店員のフレンドリーな対応にまず心癒された。

サクサクモチモチの生地に高級チーズが特徴/ライムをかけて食べるアッサリしたピザでおまけもつく

早速、“今日のピザ”(一種類しかない日替わり)を注文した。「$2.75です」。「あれ、この数字、私が住んでいた10年前と同じだ」とまた驚いた。このピザ、1カットが大きくて、しかもおまけをつけてくれるのも昔のまま、品質も味も変わっていなかった。オーガニックの小麦粉を使ったモチモチの食感の生地が特徴で、質の良いチーズとオリーブオイルをベースに、オーガニックの野菜をのせた美味しいピザは食べたくてしょうがないという“Craving”な私の気持ちを満たしてくれた。しかも値段はコーヒー1杯の値段より安いのだから、満足度は高い。

昼時と夕方には地元住人と学生の長蛇の列/長年愛される同店では、昔からライブジャズ演奏も行われる

小さなチーズ店から始まった同店は、1971年に従業員皆がお店の経営に関わる「コレクティブビジネス」として再オープンした。この経営体制は、従業員ひとりひとりが経営に発言権を持ち、利益も分け合う事から、彼らのモチベーションは高く、質の良いサービスを提供してくれる。それから今日まで、300 種のチーズを取り扱うチーズショップとピザ屋を並行営業しており、その品質とお手ごろな値段で地元客を魅了し続けている。また、この通りの対面には、”ローカル、シーズナル、オーガニック”のコンセプトで食革命を起こしたアリス・ウォーターズ氏が経営するレストラン「シェ パニーズ」もあり、「チーズボード ピザ」と同時期にオープンしている。今でもそのスピリットがこの町に息づき、”変わらない”地域の温かさを感じる。

エミリビル市にあるチーズボードの支店「アリズメンディ」。行列もなく落ち着くテラス

先月、昔サンフランシスコに住んでいたドイツ在住の古い友人が10年ぶりに同市を訪れ、一緒に食事をした。その時彼女の言った言葉が印象的だった。「私、まるで『田舎のネズミと町のネズミ』の田舎ネズミになった心境だわ」。彼女が昔好きだったダンジェネス蟹で有名なレストランに行ったところ、住宅街の片隅にある素朴な店にもかかわらず、蟹の値段は当時の2倍、店の前にバレットパーキング(料金を払って店の係員が駐車をするシステム)を設け、その料金も一流ホテルなみ。それでも店は満席でほぼ全員がこの高額の蟹を食べていた。新しい食のトレンドを生み出しているサンフランシスコは魅力的なのだけど、その価値観がすっかり変わっている私たちの暮らしぶりを見て彼女は、「私は『田舎ネズミ』だわ。今だとここで暮らせない」と言った。

私もまた、サンフランシスコの新しいもの、流行を取り上げ、世に発信する仕事をしていながら、個人的には素朴で変わらないものに対して懐かしさと癒しを感じる。それは、時代が変わっても利益至上主義に屈服しない経営者の心構えだったり、昔から変わらない風景だったりする。「古き良き時代」とは良く言ったものだ。この言葉が心に響くのは、私が年をとったせいだろうか。なにはともあれ、ITとは無縁の貧乏ライター(私)がこの地でサバイブ(生き残る)している現状に感謝せずにいられない。

データ
The Cheese Board Collective
1512 Shattuck Ave, Berkeley, CA 94709
(510) 549-3055

Arizmendi-bakery
4301 SAN PABLO AVE
EMERYVILLE, CA 94608

関根絵里(せきねえり)/プロフィール
ライター/ コーディネーター
福岡県出身、関西育ち。1996年サンタバーバラに移住。1999年に大学卒業後、サンフランシスコでタウン雑誌の支局長を勤める。2004年よりフリーランスになる。現在、フード、トラベル、ライフスタイルの記事を中心に各雑誌にコラムを執筆中。サンフランシスコ在住。
2014年の主な仕事:  記事:「ELLE a Table」「PEN」 西海岸特集、「ミセス」(ワールド)「Japanese Restaurant News」「ボディープラス」コーディネート:「地球の歩き方」サンフランシスコ/シリコンバレー版、「まっぷる」西海岸版、「タビトモ」サンフランシスコ
著書:『カリフォルニア. オーガニックトリップ』(ダイヤモンド社)(2014)