第18回 コーヒー当番のデモクラシー

ポルトガル語なまりの強いフィンランド語を笑われ、お財布を無くしたメンバーの一人から鞄の中を見せろと迫られて、さすがにもうアンドレーサがケルホに来ることはないだろうと思った。せめてアンドレーサがケルホに来たら、真っ先にヴィ...
LINEで送る

ポルトガル語なまりの強いフィンランド語を笑われ、お財布を無くしたメンバーの一人から鞄の中を見せろと迫られて、さすがにもうアンドレーサがケルホに来ることはないだろうと思った。せめてアンドレーサがケルホに来たら、真っ先にヴィライが謝ってくれたらいいのにとも思ったが、シポニアと組んでアンドレーサを見下すような態度を取ってきたヴィライが頭を下げるとは思えない。

にもかかわらず、アンドレーサはケルホにやってきた。彼女にとってケルホは散々な場所だったが、息子のルーカスはケルホが好きだった。最後に会った時にはヴィライへの怒りで目がうるんでさえいたアンドレーサだったが、その日は何事もなかったかのようにメンバーに挨拶をしながら中に入ってきた。私は早速ヴィライが大勢の前で怒られて謝罪したことを教えてあげようかと思ったが、当のアンドレーサには、そんなことまるで構わないぐらいの明るいオーラが漂っていた。

ケルホの子ども部屋。ママ達がフィンランド語を学習したり談笑している間、子ども達はお気に入りのおもちゃを使ってわいわい遊ぶ

アンドレーサは、ケルホが終わってからコソボ人が連れ立って行くショッピングには誘われても断って、たいてい私と帰りを共にしたが、「ケルホの中では特定の人とつるまない」というポリシーを持っている。私の中でもケルホは、外国人母子が集まって、フィンランド語や文化を習得する場所という割り切りがあり、ケルホが終われば就学したばかりの長男が家に帰ってくる時間なので、特定の誰かとじっくり友好を温める時間など無い。それにもともと女社会にありがちな派閥作りや仲良しごっこには興味がなかった。

10時のお茶の時間がひと段落すると、コソボ人とタイ人達は居間で談笑に興じ、私とアンドレーサは子ども部屋で子ども達と遊びはじめた。そこでやっと私は、アンドレーサが居ない日にパウラがメンバーを集めて、例のお財布事件とヴィライの行動を激しく非難し、ヴィライがみんなに謝罪したことを伝えた。「その場にいれば、あなたにもきちんと謝ったでしょうに」と言うとアンドレーサは「そんなこと、もうどうでもいいわよ」と顎をあげた。「それもひどかったけど、私がコーヒー当番の時、シポニアとぐるになってヴィライがどんな態度を取ったと思う?」それはもう前にも聞かされたことだったが、彼女たちの失礼な態度は、私が居ない夏休み前と夏休み明けにもしばらく続いたという。

「まずね、コソボ人たちが言い出したの。『お茶の時間の準備と片付けはいつも私達ばかりがやっている』って」それは一理あるかもしれない。ケルホの起ち上げメンバーに相当するコソボ人女性は、ハズビエとシポニアとミモザを中心におしゃべりをする口だけでなく、台所で手を動かすのも早かった。後から入ってきたメンバーは、その法則がよくわからないまま、ただお茶をご馳走になって、時間になったら子ども達と慌ただしく帰ってしまうことが多い。「それで、みんなで当番を決めたの。そしたら私の当番の日にね、シポニアとヴィライがね、『早くぅ、コーヒーはまだ?』とか『お代わり!早くしなさいよ!』ってまるで私に対して召使に言うみたいに命令したのよ、信じられる?」

「それはフィンランド語で言ったからじゃないの?フィンランド語ってシンプルでダイレクトな言葉だから、そうでなくても失礼に聞こえるじゃない?それに彼女たちもネイティブじゃないから、ますますぶっきらぼうな話し方しかできないのかもよ?」念のため――念のためだが彼女たちを擁護してみると、アンドレーサはかぶりをふった。「そればかりじゃない。二人でひそひそと私のこと、内緒話で笑っているのよ」「本当に?」「本当よ、朝玄関から入ってきた時にもアンドレーサがどうのこうのってひそひそやってたわよ」

耳の聞こえは素晴らしく良いわけでもないが、私はそんな様子には一度も気が付いたことがない。この話には驚いたが、同時に少しアンドレーサが心配にもなってきた。アンドレーサは、以前私が勧めたカルチャーセンターのフィンランド語コースでも、クラスの女性達に嫌なことを言われたとかで、通うのをやめてしまっている。母国ブラジルでの昔話を語る時も、学校で彼女の悪口や噂話が絶えず、苦労したと聞かされたこともあった。

アンドレーサとはかれこれ2、3年の付き合いになるが、私には彼女の悪口など思いつかない。細身で大きな目が魅力的な彼女の風貌が羨望の的になりそうなことぐらいは想像できるのだが、それがどうやって周りの女性達からの悪口や嘲笑になるか、私には見当がつかない。もしかして何もしなくても悪口が聞こえてしまう何か心の病気だったらどうしよう――私は、アンドレーサのことをまじまじと見つめた。

そんな私の心配をよそにアンドレーサはさらに続けた。「それでね、私、ジャジーゴォ(彼女は私の名前をそう発音する)が居ない間に言ってやったの。『ここはみんな平等にお茶当番をするケルホでしょう?それを私にだけこんな不当な扱いをして、ここにはデモクラシーは無いの?!』って」 ひぃーーデモクラシー!!!

《ペルヘケルホ人物紹介》
筆者=靴家さちこ:フィンランド人の夫との間に2人の男児を持つ日本人。外国人母子向けの児童館「ペルヘケルホ」に通い始めて間もなく1年が経とうとしている。

アンドレーサ:筆者の夫の親友の妻でブラジル人。筆者の次男と同い年の長男を連れてケルホに通ってくるようになった。

ヴィライ:フィンランド人の夫との間に男児と女児を持つ、タイ人のママ。数か月前からケルホに通ってくるようになった。

シポニア:ケルホ創設時から通ってきているコソボ人。ハズビエより在住年数が短い。同郷の男性とフィンランドに移住し、2人の子どもを育てている。

パウラ:ケラヴァ市がプロジェクトとして認可した「ペルヘケルホ」を運営するフィンランド人の職員。

靴家さちこ(くつけさちこ)/プロフィール
1974年生まれ。フィンランド在住ライター/ジャーナリスト。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、フィンランド系企業を経て、2004年よりフィンランドへ移住。『Love!北欧』『FQ』などの雑誌・ムックの他、『PUNTA』、『WEBRONZA』『ハフィントンポスト』などのWEBサイトにも多数寄稿。共著に『ニッポンの評判』、『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』などがある。