第19回 優秀な新入りメンバー現る

アンドレーサとシポニア、ヴィライの対立を抱えたまま、外国人母子向けの児童館「ペルヘケルホ」にまた新入りがやってきた。一人はタイ人の、名前を聞くタイミングを逃してしまったので、仮にVとしよう。彼女と、ケルホ初のロシア人メン...
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アンドレーサとシポニア、ヴィライの対立を抱えたまま、外国人母子向けの児童館「ペルヘケルホ」にまた新入りがやってきた。一人はタイ人の、名前を聞くタイミングを逃してしまったので、仮にVとしよう。彼女と、ケルホ初のロシア人メンバー、ナタリーである。

そろそろケルホ通いばかりではなく、外遊びもさせなければならない年頃になってきた次男

二人の共通点は、目的意識が高く、学歴が優れていることだった。まずはVの話からしよう。Vは6歳の女児と4歳の男児を連れて、初秋のある晴れた日にやってきた。

既にケルホのタイ人メンバーの顔も見知っているらしく、Vはあっという間にうちとけた。が、フィンランドに移住して間もないVは、ケルホの職員のメリヤやパウラを捕まえては英語であれこれ質問するという点で、既存のタイ人メンバーとは違っていた。

Vは時折、移住の手続きや保育園の申請の為に、まだフィンランド語が上手く話せない子ども達をケルホに置いて出かけることがあった。子ども達はVがいる間は大人しくて聞き訳が良かったが、いなくなると許可なくクローゼットから玩具を取り出そうとするなど、少し大胆にふるまった。私が、幼少の頃に身につけたうろ覚えのタイ語で「メダーイ(ダメ)」と止めると二人はとても驚いて、帰ってきたVに「あのオバサンが……」と青ざめた顔で事の成り行きを告げた。

怪訝な顔をしながら子ども達の言い分を聞き終えたVに、英語で「この部屋の中の玩具はどれを使っても良いんだけど、このクローゼットの中の玩具だけは、職員に断ってからじゃないとダメなのよ」と告げると、Vは私が言ったことを子ども達にも訳し、ケルホのルールは守るように、らしきことを毅然とした表情で言い含めた。

その頃、ケルホのレギュラーメンバーは休みがちで、私は久々に現れたこの英語話者との談笑をしばし楽しんだ。Vは自分の子ども達のことは、タイに居た頃は全て乳母任せだったので実はよく分からないのだと言う。それでも他のタイ人の母親達とは違い、彼女と子ども達の間では非常に強い命令系統というか、縦の関係ができていた。

Vとフィンランド人の夫との出会いや馴れ初めは忘れてしまったが、「どうしてフィンランド人の男性が良かったの?」と聞くとVはほとんど即答で「リーダーシップがあるからよ。タイ人の男はダメ。みんなナヨナヨしてて」と言い切った。

またある日Vは、タイの大使館で受けた屈辱的な対応についてパウラを相手に大いに語っていた。「私に向かってね、私と夫の関係を証明するものは何かと、無ければ幾らかの賄賂で手を打ってあげようなんて言うのよ!私、頭にきて『あなたの上司を呼んできなさい!今すぐあなたが私にしたことを告げて、電話でフィンランド人の夫とも話してもらいますから!』と言ってやったのよ!」パウラは目をパチクリしながら「お見事ね!そういう話はよく聞くけど、そう対処すればいいんだわ!」と感心して膝を打った。

ある時私はVに、「あなたって他のタイ人とはちょっと違うみたいね?」と聞いた。Vはそれに対してもあまり時間を要さず「そうねぇ、私の場合、父がベトナム人だからその血のせいかも」と答えて微笑んだ。Vはこの先、子ども達の保育先が確保できたらビジネススクールに通いたいとも語り、「もう早速何かビジネスがしたいのよ。私のベトナム人の血がそうさせるのね」と言い放った。

ほどなくして、子ども達二人の保育所が見つかると、本当にその日から、随分長いことVに会うことは無かった。そのVとほとんど入れ替わりでケルホに現れたのがナタリーだ。

ナタリーは、一歳ぐらいの女の赤ちゃんを抱えて、ある日突然ケルホの玄関口に現れ、「あのぅ、ここでは何をしているんですか?」と流暢なフィンランド語でたずねた。奥から出てきたパウラに、「私、以前ここに住んでいたもので……」と説明した彼女は、私も含む既存のメンバーのように子ども連れのフィンランド生活に困ってというよりも、本当に純粋な好奇心からこの扉を叩いたのだろう。フィンランドの在住年数も、当時の私の5年に3を足しただけの8年だそうだが、目をつぶって聞いていたらフィンランド人と思うぐらいにフィンランド語が上手だった。

その日から通ってくるようになったナタリーのフィンランド語は、聞けば聞くほどロシア鈍りもなく、文法も正確だった。それにはナタリーと在住年数が同じハズビエも真っ青だったし、ナタリーと同じように上の子どもを保育園に預けられるようになってからヘルシンキ大学の語学コースに通って多少のフィンランド語を身につけていたつもりだった私などは、その場から消えてしまいたい気分になった。

当時はまだ保育園に通わせる年齢にならない次男がいるから、フィンランド語講座には通い続けることができず、ケルホがフィンランド語のクラスのようなものだった。しかし、外国人同士のあり合わせのフィンランド語でつむぐ雑談だけでは上達できないと感じていた私は、パウラとメリヤに提案して、メンバーをレベル別に分けて小さなフィンランド語講座も開いてもらっていた。

現状に危機感を持っていたのは、やはり語学力が高いメンバー達の方だった。みんな時間になると、さっと自分たちの子ども達に「ママはお勉強の時間だからね」と言い聞かせて隣の部屋に移った。語学力が低いメンバーの中には「隣の部屋に行っちゃうと子どもが泣くから」と重い腰を上げない人もいる。アンドレーサも、こともあろうにハズビエの愛娘アニーサがアンドレーサの息子のルーカスに意地悪をするから目が離せないなどという。

私は、もちろん早速上のクラスのメンバーに迎え入れられたナタリーと一緒の授業で、目がメラメラと燃えていた。ナタリーは、メリヤでさえも説明できなかった動詞の不規則活用についてもフィンランド語で解説ができた。私だってかつて、同じコースで同じ解説を受けたはずなのだ。それが、彼女の頭には定着し、私の中では風化している。

外国語を学ぶ上で文法の重要さは十分に理解しているのだが、しっかり覚える前に、まず音を聞いてみたい、しゃべってみたい、使ってみたいとそっちばかりに流れてしまう私のやり方は傲慢で遠回りだ。その日ケルホから帰った私は、早速、古くて新しい(つまり、あまり使われていない)フィンランド語の文法書を書棚の奥から引っ張り出した。

《ペルヘケルホ人物紹介》
筆者=靴家さちこ:フィンランド人の夫との間に2人の男児を持つ日本人。外国人母子向けの児童館「ペルヘケルホ」に通い始めて間もなく1年が経とうとしている。

アンドレーサ:筆者の夫の親友の妻でブラジル人。筆者の次男と同い年の長男を連れてケルホに通ってくるようになった。

ヴィライ:フィンランド人の夫との間に男児と女児を持つ、タイ人のママ。数か月前からケルホに通ってくるようになった。

シポニア:ケルホ創設時から通ってきているコソボ人。ハズビエより在住年数が短い。同郷の男性とフィンランドに移住し、2人の子どもを育てている。

パウラ:ケラヴァ市がプロジェクトとして認可した「ペルヘケルホ」を運営するフィンランド人の職員。

靴家さちこ(くつけさちこ)/プロフィール
1974年生まれ。フィンランド在住ライター/ジャーナリスト。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、フィンランド系企業を経て、2004年よりフィンランドへ移住。『Love!北欧』『FQ』などの雑誌・ムックの他、『T-SITE』『ハフィントンポスト』『NewsPics』などのWEBサイトにも多数寄稿。共著に『ニッポンの評判』、『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』などがある。