第32回 生きた心地もしない

久しぶりに飛行機に乗っていて怖い思いをした。先日、中国東方航空で上海から成田へと向かっていたときのこと。いつもどおり窓際に座っていた。順調に高度を下げ、あと30秒ほどで着陸するというときに、激しく機体が揺れ出した。「この...
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メキシコ・ピエドラ・エラーダに蝶の越冬を見に行った帰りに事故に遭った

久しぶりに飛行機に乗っていて怖い思いをした。先日、中国東方航空で上海から成田へと向かっていたときのこと。いつもどおり窓際に座っていた。順調に高度を下げ、あと30秒ほどで着陸するというときに、激しく機体が揺れ出した。「このままでは地面に叩きつけられるかもしれない」とあわてて座席に足を引き上げて身がまえた瞬間、機首がぐっと持ち上がり、機体は急上昇を始めた。

旅客機とは思えない急角度で上昇、高度が安定してから、「強い向かい風のため、着陸できない」とのアナウンスがあった。成田上空を30分ほど旋回してようやく着陸した。飛行機事故の8割が離着陸時に起こっている。しかも、着陸時の事故発生率は離陸時の3倍だ。

この3ヶ月前にプライベートで訪れていたメキシコで交通事故に遭っていた。前方右側のT字路交差点から進入し、無理やり左折しようとしたトラックに乗っていたバスが突っこんだ。通路側にいたので一部始終を見ていた。ブレーキが間に合わず、吸いこまれるようにトラックと衝突した。一瞬早く腕で防御した私以外の乗客は、みなつんのめって前の座席で顔を強打していた。さすがスーパーで免許証、しかも永久ライセンスが買える国だ。

これから大事が起こるかもしれないということを、ほんのちょっとでも前もって知っているのと知らないのとでは大違いだ。

忘れもしない2011年3月16日、メキシコからの帰り、コンチネンタル航空で経由地のヒューストンから成田へと向かっていた。いつもなら太平洋上をゆるやかな弧を描いた無駄のない航路だが、あの日はなぜか日本の上空、岩手や山形のあたりを飛んだのだ。航空機はいったん日本海まで抜け、カクンと急旋回して進路を内陸へ変更した。それについてアナウンスは一切なかったが、フライトモニターを見ていれば一目瞭然だった。明らかに福島とその風下を大きく避けたルートであった。

アメリカの航空会社はいざとなれば横田基地が使える。東日本大震災の直後、成田と羽田が閉鎖され、(※)ダイバート機で横田はいっぱいになった。東北、北関東の空港も地震でやられ、さらには名古屋や大阪にも空きがなくなった。北米路線に乗っていた他のハンドキャリースタッフは千歳空港に急遽降りたそうだ。

当初は震災当日の11日にメキシコに行くことになっていたのだが、ブツが間に合わないところにさらに地震が起こり、翌12日、14日と出発日がどんどん後ろ倒しになっていた。13日に空港ホテルに前泊している間も余震がずっと続いていた。17日には都内の自宅にいったん戻り、18日には羽田から伊丹へ飛び、そのまま2ヶ月、関西に疎開した。

今もヒューストンは成田の次によく行く空港である。それほどヒューストン-成田間はよく飛んでいるが、内陸から成田に着陸したのは後にも先にもあのときだけだ。あれほど飛行機に乗っていて恐ろしかったことはない。

※ダイバート:航空機が当初の目的地以外の空港などに着陸すること

片岡恭子(かたおか・きょうこ)/プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。新宿ネイキッドロフトで主催する旅イベント「旅人の夜」が7年目を迎える。ロックバンド、神聖かまってちゃんの大ファン。2016年現在、49カ国を歴訪。処女作棄国子女-転がる石という生き方』(春秋社)絶賛発売中!

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