第2回 ワニは洪水にのって

「初恋は春風にのって」的乙女なノリでタイトルをつけてみたが、テーマはワニだ。


ブルキナファソには雨季と乾季の2つの季節がある。夜明けから日暮れまで、畑で働きづめの雨季が明けて乾季になると、村人たちは籠を編む、魚を獲る...
LINEで送る

「初恋は春風にのって」的乙女なノリでタイトルをつけてみたが、テーマはワニだ。


ブルキナファソには雨季と乾季の2つの季節がある。夜明けから日暮れまで、畑で働きづめの雨季が明けて乾季になると、村人たちは籠を編む、魚を獲るといったちょっとした仕事の合間に、のんべんだらりと酒をかっくらったり、輪になってダンスを楽しんだりというのどかな時間をすごす。

こうして1年は過ぎ、また雨季がやってくる。当時私が住んでいた村では、雨季に入ってしばらくたったある日、突然大量の水が押し寄せて来ていた。15kmほど北にある川の水が溢れて、村へたどり着くのだ。その年の天候により、ちょっとした水溜りにしかならないこともあれば、村が島のように孤立するほどの量になる場合もあり、少ないと干ばつを憂えねばならず、たっぷりなら豊作が期待できる。だから皆、水の量に一喜一憂していた。

この時、村へ流れ込むのは水だけではない。水量が多い年は、水にのってワニもやって来る。そこで「ワニが来る → 水量が多い → 豊作」という図式が成り立ち、ワニは豊作の象徴となっていた。


私が住んでいた村には、ワニをかたどったレリーフを壁にほどこした穀物倉が多かった。豊作の象徴だから不思議ではないが、足が6本や8本、それ以上あるものも多く、何やら秘密の匂いがした。しかも、近隣の村にはこのような倉はほとんどない。もしかして「昔、8本足のワニがこの村に富をもたらした」なんて伝説が隠れているのではと、当時、文化人類学を学ぶ大学院生だった私は勇んで聞き取り調査をしたところ、予想外の結果がでた。

若い人ほど「ワニを描くと倉が崩れない」だの「倉のワニは畑に水を呼ぶ」といった、私が望む“それらしい回答”をよこしてくれるのに、慣習や言い伝えに詳しいはずの古老は皆、「あんなの何の意味もない」と口を揃えるのだ。古老たちが口をつぐむなんて、部外者には語れない重大な秘密なのか?! とさらに調べてみると……。

えぇえぇ、完全な私の思い込みでしたよ。村人たちがワニ装飾を始めたのは、15年前かそこらのことで、子どものイタズラがきっかけだったんだそうな。最初にワニの絵を描いたって男の子まで判明しちゃいましたよ。

穀物倉には上の方に人ひとり入れる小さな入口があり、昇り降りしやすいよう、壁に泥で梯子状のでっぱりを付けるのだが、この部分がワニのフォルムに似ているため、子どもたちがイタズラで足やワニ皮模様を付け足したのが始まりだったという。足が何本もあるのは、ワニの全身を見たことのない子どもたちが頭と前足だけ見て、あれだけデカいんだから足だって何本もあるはず、と考えたためだった。

つまるところ、リアルタイムで事情を知っている老人たちにとってワニ模様はただの子どものイタズラだったが、物心ついた時からこの装飾を見てきた世代は、何らかの“意味”のある伝統と捉えたということのようだ。

期待していた伝説はなかったが、伝統文化に見えることも案外と歴史が浅かったり、始まりはイタズラなんてこともあるんだなぁとか、外国人に自分たちの文化について聞かれたら、知らないことでも意味ありげに言いたいのかなぁなど、いろいろと考えさせられた経験となった。


さて、うんこの話である。

村が沼とワニに囲まれたある年の雨季のこと。私のうんこがイチゴジャム化した。

最初は気のせい?というほどわずかだった血便が、だんだん悪化してきたのだ。お腹もしぶるように痛い。これはきっとアメーバ赤痢だ。

しかし、病院のある町へ行くには村を囲むワニ池を越えねばならず、何とかこのままやり過ごせないかとか、ワニもだが住血吸虫(※)も怖いし……などと逡巡していたら、ある日、居候させてくれていた一家の長老たちが私を呼んで告げた。「おまえのうんこ、ヤバくなってきたから病院へ行け」と。結局、村の若者たちが私をかついで池を渡り、オートバイの後ろに乗せて町の病院まで送ってくれたのだった。本当にありがたかった、ありがたかったんだが……。

っていうか! みんな!! 私のうんこを観察してたんかーーーーい!!!

とは、口が裂けても言えないのであった。


よどんだ淡水につかることで感染する寄生虫で、アフリカの住血吸虫の場合、悪化すると死に至ることもある。

板坂 真季(いたさか まき)/プロフィール
ワニの穀物倉の話は以前、愛知の野外民族博物館の機関誌『リトルワールド』に、詳しいデータつきで書いたことがあるが、この雑誌、もうなくなっちゃったのかな? あれから20年近くたつが、倉のワニ模様はまだ続いているのだろうか。もしかして、周辺の村々にも広がっていたりして?