第13回 小島良弘-激動の時代を生き抜く秘訣 前編

リマに本社を置く日系旅行代理店レアル・ツール。同社の日本担当部長、小島良弘さんを訪ねた。在秘50年、来月には78歳を迎える小島さんだが、実年齢よりずっと若々しく見える。その秘訣は30年以上続けているというテニスのせいだろ...
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リマに本社を置く日系旅行代理店レアル・ツール。同社の日本担当部長、小島良弘さんを訪ねた。在秘50年、来月には78歳を迎える小島さんだが、実年齢よりずっと若々しく見える。その秘訣は30年以上続けているというテニスのせいだろうか、それともその穏やかな表情がそう見せるのだろうか。

リマにあるレアル・ツールのオフィスにて

陶磁器生産日本一の街として知られる岐阜県土岐市で陶磁器製造業を営んでいた両親の、9人目の子供として生まれた小島さんは、同志社大学を卒業後地元に戻り、すでに兄の代になっていた実家で窯業技師として働いていた。ある日、兄に「悪いが、あの高利貸しの養子になってもらえないだろうか」と頭を下げられた。兄が借金をしていたその高利貸しには、跡取り息子がいなかったのだ。実家の状況をおもんばかった小島さんは、「ただし家業は絶対潰すなよ」と念を押しつつ、申し出を受け入れた。兄は弟の言葉に頷いたが、それからたった半年で不渡りを出してしまった。小島さんは、「兄はもともとそのつもりだったのかもしれません。二代目というのは難しいですね……」とつぶやいた。

その後養子の話は反故になり、当時の盛んな窯業を背景に、小島さんはすぐ次の就職先を見つけることができた。そんな折に持ちかけられたのが、ペルーへの渡航だった。ペルーの首都リマで広く事業を手掛ける和歌山県出身の松下氏が、現地で窯業技術者を求めているというのだ。

松下氏が経営するカサ・マツシタ(Casa Matusita)は、建設機材の販売を始め、ナショナル(現パナソニック)の電気部品や衛生陶器の輸入販売のほか、カサ・マツシタの関連会社が製造するプラスチック配管の販売を行う地元の優良企業。当時は陶磁器生産をペルー国内で開始するため、日本製の焼成窯や半自動成型機を取り寄せ、日本人の技術者を招聘しようとしていたところだった。しかし、当初予定していたエンジニアが亡くなってしまい、行き場を失った白羽の矢が小島さんの上にすとんと落ちてきた。

偶然にも、大学時代スペイン語を第二外国語に選択していたという小島さん。また彼が学生時代を謳歌した1950年代にはラテン音楽が流行り、行きつけの音楽喫茶でもよく耳にしていたという。とはいえペルーについての知識はほとんどなく、世界地図で眺めたことがある程度。結婚したばかりの小島さんは悩んだが、松下氏の熱心な誘いに心を動かされ、ペルーへと向かう決心をした。初渡航の地が終の棲家になろうとは、当時夢にも思わなかっただろう。

1966年7月7日、27歳の小島さんと新妻の妙子さんを乗せたカナディアン・パシフィック航空は、アンカレッジ、バンクーバー、パナマ、ボゴタを経由し2日がかりでリマに到着した。空港周辺に広がる貧民街にはおよそ屋根と呼べるものがなく、家の中を行き来する人の姿がはっきり見えたという。気候変動の影響で近年は時折小雨が降るようになったリマだが、当時は天水とは縁のない砂漠の街であった。このエピソードだけでも、長い時の流れを感じずにはいられない。

焼成の要となる窯の管理と、ペルー国内での土の仕入れを任された小島さん。しかし、仕事に慣れるまでには相当な苦労があった。「一番困ったのは、日本に電話が繋がらなかったことでしょうか」と小島さんは当時を振り返る。たった1人の日本人技師として奮闘していた彼には、複雑なトラブルを相談できる相手がいなかった。当時は電話交換手が手で配線をつなぐ時代。国営電話会社はまともに機能しておらず、日本の窯業仲間に電話しようにもほとんど繋がらなかったのである。「まだFAXもなかったし、手紙を出してもいつ返事がくるか分かりませんからね。とにかく持参した専門書を隅から隅まで読み直して、自力で対応するしかなかったんです」

口の悪い職人たちを指導するのは大変だっただろう。時には孤独を感じることがあったかもしれない。しかし小島さんの現場に対するまなざしは、いつも優しい。「彼らの中には文字が書けない人、自分の名前すら書けない人が大勢いましたね。給料の受け取りに必要なサインができなくて、丸とかバツとかでマークしてね。気の毒でしたね」「ペルー人というのは、素晴らしく勤労精神に溢れていますね。日本人が嫌うような単純作業でも、集中し続けることができる。これは素晴らしいことです」

誰かを蔑んだり、小ばかにすることが決してない小島さん。それは「人の悪口は言うな、良い面を見ろ」という亡き父親の教えだという。「私は短気ですよ。ほら、釣り好きは短気だというでしょう?あれです」と話すものの、人を安心させる穏やかな語り口ゆえ、私にはその言葉がただの謙遜にしか聞こえない。

小島さんが体験した激動のペルー史は、まるでほのぼのとした日常を紡ぐように語られていった。


原田慶子(はらだ・けいこ)/プロフィール
ペルー・リマ在住フリーランスライター: 2006年来秘、フリーライターとしてペルーの観光情報を中心に文化や歴史、グルメ、エコ、ペルーの習慣や日常などを様々な視点から紹介。『地球の歩き方』ペルー編・エクアドル編、『今こんな旅がしてみたい(地球の歩き方MOOK)』ペルー編、『トリコガイド』ペルー編、共著『値段から世界が見える!日本よりこんなに安い国、高い国』ペルー編、『世界のじゃがいも料理』ペルー編取材・写真撮影など。ウェブサイト:www.keikoharada.com