第8回 殺(や)る気の仮面 Ⅰ

仮面は何をやってもかまわない。だって霊だから。
人を殺したってかまわない。霊だし。



かつて数年を過ごしたアフリカのブルキナファソ西部は、仮面文化が盛んだった。仮面に扮するのは成人儀礼を通過した若い男性たちだが、現地...
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仮面は何をやってもかまわない。だって霊だから。

人を殺したってかまわない。霊だし。


かつて数年を過ごしたアフリカのブルキナファソ西部は、仮面文化が盛んだった。仮面に扮するのは成人儀礼を通過した若い男性たちだが、現地の人たちにとって仮面をまとっているはずの“中の人”などはいない。仮面は「中の人+外側の仮面」ではなく、あくまで全体が霊的存在であり、人が作ったあらゆる法律の外にあって、殺人さえ許されるとされていた。

今回から何回かに分けて、ブルキナファソで私の最大の関心事だった、仮面の話をしたい。


日本人が「仮面」と聞くと、能面のような、顔に装着する木製のお面を思い浮かべるだろうが、西アフリカではどこからどこまでを「仮面」と呼べばよいのかわからないものが多い。

私が住んでいたのはヌヌマ民族の村だったが、そこから20数km行った先に、少し大きめの町があった。この町で優勢なのはブワ民族。彼らの仮面は葉の仮面と呼ばれ、全身を葉でくるみ、頭部に藁で突起を施したスタイルだ。足や手のある人間に近いタイプから、円錐形の葉の塊にしか見えないタイプまでおり、こうなるともう人でも動物でもなく、ただただ霊的な何か、としか言いようがない。


これらの仮面は、農閑期にあたる乾季に出没する。基本的には隊列を組んで練り歩き、広場などでダンスを踊るのだが、時に様々なトラブルを起こした。

町の人たちがよそ者に仮面の恐ろしさを説明するエピソードとしてよく語ったのが、数年前にあった軍とのいさかいだ。仮面の行列を自転車に乗った軍人が横切ろうとして揉め、軍人が仮面を殴ってしまった。するとこの夜、大勢の仮面が軍の施設に押し寄せ、石造りの門を壊して去っていったという。本来なら大問題になりそうだが、結局、軍も警察も手の出しようがなかった。仮面に、“中の人”などいないのだから。

こうした仮面の凶暴さは在住外国人にはよく知られており、在住フランス人向けのラジオ放送は、「×月×日に××村で仮面の祭りがあるので、仮面の行列に出くわしても通行を妨げないように」といった注意喚起を行っていたほどだ。


先の軍人のエピソード以外にも、仮面が殺人を犯したとか、仮面に殴られた人が病院送りになったとかいう話はよく耳にしたが、面白いことに、話の中での“被害者”はいつもモシ民族だった。

ブルキナファソでは多数派のモシが、ブワなどの小数民族を支配している。ブワの居住エリアでも軍人や警察にはモシが多く、大き目の商店もモシ経営のことが少なくない。他民族だからブワの慣習に疎くて襲われる、と言えなくもないが、むしろ、モシが仮面に襲われたと話すことで、ふだん抑圧されているうっぷんを晴らしている印象を受けた。実際、病院に聞き込むと、仮面に怪我を負わされて病院に駆け込むのはモシだけではないのだ。

かつて、このエリアによそ者があまりいなかった時代、仮面はブワ同士で殴り合っていたそうだ。ブワ民族は血筋によっていくつかのグループに分かれるが、そのグループごとに、仮面をつけて他のグループを殴る日と、仮面をつけずに殴られる日が1日ずつあったという。ただし、王が属するグループのみ、殴られる日が3日もあった。もともとブワの仮面祭りには、権力への不満を晴らす機能があったといえる。

支配者がブワの王からモシに変わったこの町で、人びとが「モシが仮面に殴られた」と語り、信じることは、ブワにとっては現代流ガス抜きなのだろう。


ともあれ、私もここでは外国人。仮面の写真は撮りたいが、襲われるのは避けたい。そこで仮面儀礼があるときはいつも、前もって仮面の皆さんに、大きな甕(かめ)2杯分の酒を贈呈することに。霊的存在への賄賂である。

では、私はいかにして“仮面の皆さん”と知り合ったのか。ちょっとこれには、驚くべき展開があったのだが、次回じっくり話したい。

板坂 真季(いたさか まき)/プロフィール
初めて、旅行者として訪れたブルキナファソで、たまたま葉の仮面の祭りに遭遇した。思えばあれが人生のターニングポイントだったと、今ならわかる。Facebookに葉の仮面の動画をUPされてる方がおられました。