第42回 スペイン無敵艦隊の敗北

 

本国が経済危機に陥った2011年くらいまで、在日本ポルトガル大使館では無料でポルトガル語講座を開いていた。日系ブラジル人が多いということもあり、日本で受講できるポルトガル語講座はほとんどがブラジル・ポルトガル語を教...
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ポルトガル・ベレンにある発見のモニュメントによるとポルトガルは日本を1541年に“発見”している

本国が経済危機に陥った2011年くらいまで、在日本ポルトガル大使館では無料でポルトガル語講座を開いていた。日系ブラジル人が多いということもあり、日本で受講できるポルトガル語講座はほとんどがブラジル・ポルトガル語を教えている。ポルトガル・ポルトガル語とブラジル・ポルトガル語にはかなりの違いがある。7500キロも離れていれば、文法も発音も単語も異なってくる。ポルトガル・ポルトガル語を無料で教えていたのは、旧宗主国ポルトガルの意地だったのではないだろうか。

ポルトガルの人口1037万人に対して、ブラジルの人口は2億人をとうに超えている。おまけに旧植民地ブラジルでは、2014年にはワールドカップ、2016年にはオリンピックが開催された。旧宗主国ポルトガルではどちらも一度も開催したことがないというのに! ワールドカップに至ってはブラジルでの開催は64年ぶり二度目だ。これまでカナリア軍団は史上最多の5度優勝しているが、ポルトガルは一度も優勝したことがない。

「ピレネーを越えるとアフリカ」とナポレオンは言った。アフリカの手前にはまだイベリア半島があるわけだが、大多数のヨーロッパ人にとってスペインとポルトガルはヨーロッパではないのである。逆にスペインからフランスに抜ければ受けるであろう人種差別を考えるだけでうんざりして、私はピレネーを越える気にまったくならない。

大航海時代以降ずっと斜陽の国ポルトガルがブラジルに負けているように、斜陽仲間のスペインもメキシコに負けている。スペインの人口4646万人に対して、メキシコの人口は1億2701万人でほぼ日本と同じである(ただし、国土は日本の5倍もある)。メキシコからアメリカへ不法入国する年間100万人のうち8割がメキシコ人といわれている。もはやアメリカ国内におけるスペイン語話者の人口がスペイン本国よりも多いご時世である。

ところで、スペイン本国ではスペイン語をエスパニョールと呼ぶが、ラテンアメリカではカステジャーノと呼ぶ。マドリッドを中心とするカスティ―ジャ地方の言葉という意味だ。スペイン北部のバスク地方ではバスク語を、東部のカタルーニャ地方ではカタルーニャ語を、西部のガリシア地方ではガリシア語を、それぞれが方言ではない別の言語を話している。スペイン、つまりスペイン語でエスパーニャと呼ばれる国全土の公用語がエスパニョールなのだ。

俗ラテン語に起源を持つロマンス語に属するのは、主にフランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語だ。フランスとスペインにまたがったバスク地方で話されるバスク語はロマンス語とはかけ離れており、いまだにルーツが解明されていない。元々ポルトガル語はガリシア語が派生したものである。ブラジル・ポルトガル語はポルトガル・ポルトガル語よりもスペイン語寄りだ。スペイン語以外に5つもの州公用語があるスペインのみを隣国とするポルトガルよりも、ぐるりをスペインの旧植民地7ヶ国に囲まれたブラジルのほうがはるかにスペイン語の影響を受けやすい。

新大陸を“発見”するまでいったいヨーロッパでなにを食べていたのか皆目見当がつかない。そもそもすでに先住者がいるところにやってきて“発見”とはどの口がほざくのだ? トマトもジャガイモもトウモロコシもトウガラシもない食卓なんて、今となってはまったく想像できない。それまでヨーロッパにはパンと肉とワインしかなかったのである。

ポルトガルではフェジョアーダというブラジル料理を食べる。今日のフェジョアーダにはソーセージや干し肉が入っているが、元々は豚のモツとクズ豆を煮こんだ奴隷料理だ。ポルトガルの食堂でも昼の定食メニューとして出てくる。ところが、スペインではまずそれぞれの地方の郷土料理しか出てこない。スペインの他の地方の料理もないのだから、メキシコ料理のタコスやタマレス、ペルー料理のセビチェが出てくるはずがない。

なぜ南米大陸でブラジルだけがポルトガル領なのか? 1494年にローマ法王が決めたトルデシリャス条約に基づき、西経46度37分より東をポルトガル領、西をスペイン領としたからだ。それにしても、ブラジル以外のポルトガル領はどこも小さい。インドのゴア、中国のマカオ、21世紀になって初の独立国である東ティモール、アフリカのカーボベルデ、サントメ・プリンシペなど、大国のごく一部か島国がほとんどだ。

スペイン領が面なのにポルトガル領が点なのは、スペインが領土を欲したのに対し、ポルトガルが港のみを欲した結果であるらしい。このあたりにポルトガルが植民地の、しかも奴隷料理をあっさり受け入れているのに対し、スペインが植民地の料理どころか、他の地方の料理さえも受けつけない理由が垣間見えるような気がする。

ポルトガルとブラジルのポルトガル語と同様に、スペインとラテンアメリカのスペイン語にもやはり大きな違いがある。斜陽仲間のイギリスの英語と超大国アメリカの英語のように。スペイン王立アカデミーが正しいとするスペイン語を布教するため、世界70以上の都市でセルバンテス文化センターはスペイン語コースを開講している。

しかし、人口とは力である。多数派が必ず勝つ。人口増加はすなわち経済成長である。世界の主流はブラジル・ポルトガル語であり、ラテンアメリカのスペイン語であり、アメリカ英語なのである。400年の歳月をかけて植民地が宗主国を制したのだ。かくして、運び屋としてスペイン、ポルトガルへ飛ぶことはごくごくまれにしかないが、新大陸、すなわち南北アメリカへの月詣では延々と続いているのだ。


片岡恭子(かたおか・きょうこ)/プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。新宿ネイキッドロフトでの旅イベント「旅人の夜」主催。2017年現在、50カ国を歴訪。オフィス北野贔屓のランジャタイ推し。処女作棄国子女-転がる石という生き方』(春秋社)絶賛発売中!

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