第9回 夫婦でキャリアチェンジ

 医療用語のクラスを取っていたとき、アルファベット順で生徒の座る席が指定されていた。私の隣にいたのは、日系米人のミッチだった。イチカワという名字だったので、イトウの私は彼の次だ。ミッチと私は同じ年。しかも私達の子供の名前と年齢も同じだった。ミッチは大学生時代、日本食レストランでアルバイトしていた。料理を覚え、アルバイトながら天ぷらシェフにまで昇格したと言って笑った。話しが合うので、二人で勉強するようになった。彼のような効果的スタディセッションを持てる人との出会いは、ありがたい。

 大学卒業後、無事エンジニアになったミッチ。数年前に解雇された。
「エンジニアは使い捨てだからね。技術が進歩すると、若い人を雇うんだよ」
 と言っていた。彼は私のようにキャリアチェンジのため、学校に戻った。呼吸療法士になるそうだ。実はミッチの奥さんも同じ道を歩んでいた。財務関係の仕事をしていた彼女は、看護師になるため仕事を辞めて学校に戻った。無事に資格を取得し、今は正看として働いている。いつかは修士号を取り、看護学校で教えることを考えているそうだ。

「ひとまずワイフに働いてもらって、僕が勉強に専念しているんだ」
 とミッチは誇らしげに言った。次は彼が働き、奥さんがまた学校に戻る。看護学校の先生になると、給料は減るが時間には余裕ができる。そして、一人娘と過ごす時間を増やしたいのだそうだ。それにしても夫婦交代でキャリアチェンジとは、やるなと思った。しかも奥さんは、さらなるキャリアアップまで視野に入れている。素晴らしいチームワークだ。

 私が脳神経検査のプログラムを始めたのは、2008年。リーマンショックの頃だ。余談だが、「リーマンショック」という言葉は和製英語で、アメリカ人には通じない。英語では“subprime mortgage crisis”といった感じで表現している。直訳すると、「サブプライム住宅ローン危機」となる。

 景気が悪くなると、アメリカ人は学校に戻る。クラスには年配のキャリアチェンジ組が結構いた。一番仲が良かったカルメンも、ミッチのように夫婦で学校に戻っていた。こちらは二人で住宅ローン関連の仕事をしていたが、景気が悪化したので何か新しいことに挑戦することにした。やはり私と同じ年であるカルメンの夫は、薬剤師アシスタントになるためのコースを、別の学校で履修中だった。

 クラスには、腰を痛めて救急救命士の仕事を辞めざるを得なかった男性、60歳くらいの男性もいた。子育て中の女性やシングルマザーの姿も。中年の生徒は覚悟しているせいか、真面目でちゃんと勉強する人が多かった。

 あのミッチは、私より先に学校を終えて呼吸療法士になった。今でも毎年クリスマスカードを交換している。奥さんは先生になったのかな。

伊藤葉子(いとうようこ)/プロフィール
ロサンゼルス在住ライター兼翻訳者。米国登録脳神経外科術中モニタリング技師、米国登録臨床検査技師(脳波と誘発電位)。訳書に『免疫バイブル』(WAVE出版)がある。