第24回  じげもん

 

グラバースカイロードからの長崎港

今年の長崎くんちは10月の連休とうまくつながり盛況であった。いつものことだが、祭りの大舞台である諏訪神社の桟敷席は早々に売れてしまう。しかし、くんちの時期に長崎に来れば、街中を庭先回りする踊町の演し物を誰でも眺めることができ、そこかしこに溢れる秋の大祭の華やいだ雰囲気を十分味わえるだろう。(くんちについては「第10回くんち」「第17回秋さるき」を参照)

くんちは、祭りの開催される10月7、8、9日が過ぎ、観光客が去っても、伝統的な手順であとの作業がしばらく続く。それらもすべて無事に終わると、ようやく長崎の街全体が一段落する。夏の初めからくんちにずっと取り組んできた「じげもん」たちは、肩の荷が下りてほっと気が抜けるそうだ。

じげもん、というのは長崎弁で「地元の人」、特に、生まれも育ちも長崎、生粋の長崎っ子を指す。さるき、と同じく、私が最初に覚えた長崎弁だ。江戸っ子とか京女とかパリジェンヌとか、歴史と伝統のある街にはその土地の人々を誇らしげに呼ぶ名称があるけれど、じげもんもそんな言葉だ。

長崎くんち 阿蘭陀船(出島町)

祭りの後、私も気が抜けてくんちロスになった。所在なげに「ああ、くんちが懐かしか」と長崎弁で口走ったら、「くんちが懐かしかなんて、じげもんのごたる」と笑われた。くんちが懐かしいなんて、まるで地元の人みたい――ああ、また言われてしまったか、と苦笑する。私が長崎のじげもんではないからこそ、そういう言葉が出るのだろう。相手に悪気はなく、むしろ褒めているのだ。よその人間なのに、まるでじげもんのようだと。

移動の多い人間は、自分のふるさとがはっきりしない。これまで住んだ場所すべてが故郷だ、というと笑われる。新しいところに数年おきに住んで、その土地の言葉と習慣を覚え、居心地がよくなってきた頃、「じげもんのごたる」とじげもんに言われて、はっと我に返る。まるでじげもんのようですよ。そこに、本物のじげもんではない者が超えることのできないもやもやした壁を感じるのは、自分の歪みのせいだろうか。

日常の何気ない場面で、出身地や故郷を尋ねられることは多い。先祖代々同じ場所に住んでいる人にとって、その土地の文化や伝統を引き継いで誇りに思うのは当然で、保守的で排他的な面もあるけれど、郷土愛にあふれたじげもんの様子をみると、少しうらやましくもある。一か所にどっかりと腰を据えて生きるのは、どんな気持ちがするだろうか。

長崎くんち 太皷山 コッコデショ(椛島町)

でも私には、また移動と別れの日がやってきた。長崎を去ることになり、借りた家の鍵を返した。もう一度、街並みをさるいた。見るものすべてが新しく、わくわくした日々。明るい陽射しの中、歴史文化博物館から諏訪神社に向かう道を、中町教会から長崎駅への道を、大浦居留地の坂道を、中華街から長崎港まで海の見える道を、浦上天主堂から平和公園につながる道をさるいた。そして悟る。どの道も愛しくて、とても懐かしい。じげもんではないけれど、もう、よそもんでもないのだ。

短いけれど濃密な長崎さるきの日々だった。長崎市内から歩いて行ける場所を中心に、バスや電車、車、船を利用して郊外にも足を伸ばした。遠くて、また、時間や交通手段が限られて、簡単に行けない場所もたくさんあった。平戸、壱岐、対馬、五島の小さな島々、散らばる多くの離島、半島の先まで……

長崎空港に向かう。何度も渡った箕島大橋から天正遣欧少年使節の像を見て、太陽と青い海のコントラストが眩しく、長崎を離れるのだという気持ちが静かにわき起こる。離陸を待つ間、NAGASAKIの文字が機内から見えると胸に迫るものがあった。移動はいつものことだが、別れの瞬間は辛い。また来ればいい。またいつでもさるきに来るさ。そう思いながら涙がじわじわと止まらなかった。

南山手からの長崎夜景

東京に戻ってから、ときどき長崎じげもんの集まりに顔を出している。進学や結婚、就職で長崎を離れた人々が中心だが、じげもんではない長崎好きの人々が相当数まじっていて、私もその一人だ。長崎の外にいても長崎の情報に出会うことはよくある。観光を重要な産業にしている長崎は、地元の催しについて熱心に発信しているのだ。移住者を募っている自治体も多く、広報に力を入れている。まだ一度も長崎を訪れたことのない方に長崎の魅力が少しでも伝われば嬉しいし、実際に訪れて長崎を好きになる人があればさらに嬉しい。長崎に幸あれ。長崎さるき、お勧めです。

◇写真提供協力 (一社)長崎県観光連盟

(参考)
長崎くんち長崎市公式観光サイト「あっと!ながさき」長崎観光ポータルサイト ながさき旅ネット日本橋 長崎館 

 

えふなおこ(Naoko F)/プロフィール

子供時代から多様な文化と人々に触れ、複数の言語教育(日本語、英語、スペイン語、フランス語、韓国語)を受ける。テレビ局、出版社、法律事務所勤務を経てフリーランサー(翻訳、ライター)。

2年を超えて続いた長崎さるき、その余韻を楽しみながら書いた「さるいてみんね長崎」はいったん最終回。しかし、訪れるたびに新しい発見がある長崎、これからもきっと長崎さるきはやめられません!