今年も8月9日がやってきた。73年前のこの日、11時2分に原子爆弾が長崎市浦上の空で炸裂し、爆風と熱線と放射能によって街は一瞬で廃墟と化した。その年だけで7万人以上が死亡、現在までに17万人以上が亡くなった。原爆による犠牲は決して過去のものではなく、後遺症で闘病を続ける人がいる。
被爆者の平均年齢は82歳を超えた。あの日の恐ろしい出来事、怒りと悲しみ、苦しみ。被爆の実相を知る人々は減少し、次世代への被爆体験の継承には、ますます努力が必要になっている。今年は核廃絶運動の中心的存在だった被爆者の谷口稜曄(すみてる)さん、土山秀夫さんが相次いで亡くなられた。
谷口さんは16歳で被爆、凄まじい火傷を負った。真っ赤に焼けただれた背中を見せた写真は、国内のみならず世界に報道された。病をおして核廃絶を訴えるスピーチを平和祈念式典で数年前に聞いた時、原爆の恐ろしさ、核兵器という悪魔のもたらすこの世の地獄が脳裏に浮かび、震撼したのを思い出す。
土山さんは長崎医科大(現 長崎大医学部)の学生で、負傷者の救護に奔走した。後に長崎大学長となり、退任後は核兵器廃絶や恒久平和を訴える市民運動に取り組んだ。山田洋次監督が長崎原爆を題材に撮影した映画『母と暮せば』の主人公は、彼がモデルだという。
昨年、核兵器禁止条約の採択に貢献したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞した。核兵器禁止条約は核廃絶への大きな一歩なのだが、核抑止力に頼る核保有国とその同盟国はこの条約に加わらないままである。唯一の被爆国・日本もこれに署名していない。アメリカの核の傘の下にあるからだ。長崎市はこれを批判し、日本政府に核兵器禁止条約に賛同するよう強く求めている
今回の長崎平和祈念式典には国連のアントニオ・グテーレス事務総長が初参加した。長崎と縁浅からぬポルトガル出身の彼は、冷戦終了後、最も多額の費用が武器に投資されている現状を懸念し、「長崎を核兵器で苦しんだ地球上で最後の場所にするよう皆で決意しよう」と呼びかけ、核兵器による人類滅亡のリスクを背負うことはできないと訴えた。
しかし、どれだけ力強いスピーチと不断の努力で核保有国の指導者たちに呼びかけても、トップダウンで核兵器廃絶に至ることはかなり難しそうだ。最近、初の米朝首脳会談で朝鮮半島の非核化実現の兆しを感じたけれど、アメリカ側は核放棄をしないだろう。その同盟国も、それを非難しない。中国、ロシアなど他の核保有大国も自ら核放棄はしない。「世界中皆一緒に」核廃絶できなければ意味がないのに。
草の根の人間としては、いったい何ができるのか。戦争は嫌だ、核兵器はありえないと叫び続けるくらいだが、庶民の力は数である。大勢の声を集めてうねりに変えて、トップを動かすことができるようにしたい。その気持ちをどこから得て、どのように高めていけるのか? 被爆者、戦争経験者が減少し、体験を共有できなくなってしまったら? 大勢が平和への思いを持ち続け、反戦、反核の行動につなげていくには?
結局、百聞は一見に如かず、自分の目で見て憤りを感じることこそ、最大の原動力になるだろう。長崎を訪れて、被爆の遺構をさるいてはいかがだろうか。平和公園、原爆資料館、爆心地、山王神社の片足の鳥居、被爆クスノキ、長崎大学…浦上地区をさるくのもいい。よく見ればいまだに街のあちこちに被爆の傷跡は残されている。観光でも仕事でも長崎に来たら、被爆地の証をさるいて、自分の目で見てほしい。
長崎への原爆投下の翌週、1945年8月15日に日本は終戦を迎える。爆心となった浦上は潜伏キリシタンゆかりの地で、現在もカトリック人口が多く、終戦の日は「聖母被昇天祭」にあたる。一方、仏教ではこの日はお盆である。長崎では初盆を迎えると8月15日に「精霊流し」をする。精霊船(しょうろうぶね)という舟形の山車のような乗り物を作り、これを曳いて市中を練り歩き、故人をしのぶ。
長崎の唐人たちによる「彩舟流し」という慰霊の行事がルーツらしく、江戸時代は精霊船を海に流したが、現在は海に流すのは禁止で、長崎市内の道路で曳く。このため交通規制が敷かれ、路上は大混雑する。「精霊流し」というしめやかな語感とは裏腹に、爆竹やロケット花火(長崎では「やびや」という)をバンバン鳴らし、鉦をチャンコン、チャンコンと打ち、ドーイ、ドーイ!と掛け声を出す。大変賑やか、見物客も出る。
ところで長崎出身の有名な男性歌手といえば美輪明宏、福山雅治、さだまさしがいるが、さだまさしの初ヒット曲が『精霊流し』である。そのさだまさしによれば1945年8月9日、被爆した多くの長崎の人々が、6日後にある精霊流しを思い、死んでしまったら誰が自分の精霊船を出してくれるのだろうか、と気に懸けながら亡くなっていったという。もう二度と、核兵器による犠牲者が出ないよう、願わずにはいられない。
◇写真提供協力 (一社)長崎県観光連盟
(参考)
平成30年長崎平和宣言
<<合わせてお読みください>> 第7回 浦上 /第8回 被爆地/ 第16回 平和
《えふなおこ(Naoko F)/プロフィール》
子供時代から多様な文化と人々に触れ、複数の言語教育(日本語、英語、スペイン語、フランス語、韓国語)を受ける。テレビ局、出版社、法律事務所勤務を経てフリーランサー(翻訳、ライター)。