第16回 平和
平和祈念像/平和公園の泉

8月は夏休み、楽しい計画がたくさんある一方で、鎮魂の月、という気持ちが私には年々強くなっている。異常気象で台風が迷走し、記録的な長雨が続いて日照が少ないままじめじめした日ばかりの東京に比べ、長崎は夏らしい暑さである。72年前のあの日も暑かったという。8月9日「長崎原爆の日」がめぐってくる。じっとり汗のにじむ中を平和公園から浦上天主堂、爆心地までさるいてみる。

平和公園には朝から大勢が集まる。原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が開かれるからだ。長崎市長の平和宣言、被爆者代表による平和への誓い、内閣総理大臣の挨拶がある。テレビ、ラジオで生中継され、長崎駅の大型モニターでも放送される。行き交う人々も立ち止まって画面を眺める。原爆投下時刻の午前11時2分、平和の鐘の音とともに皆が黙祷する。路面電車やバス、港の船でも黙祷は行われ、観光客も目を伏せる。私も子どもと一緒に起立して黙祷する。72年前、この瞬間、長崎の人々の上に原爆が落ちたのだ。もしタイムスリップして、自分や家族、友人、愛する人たちが居合わせたとしたら? 想像するのもおぞましく、考えるのも嫌だ。しかし実際にここで、その恐ろしい事は起きた。

長崎への原爆投下には複数の偶然が重なったと聞く。当初目標は小倉だったが直前の空襲の影響で視界不良のため長崎に変更。長崎市中心部は雲があり、北部の晴れ間に投下、それが浦上地区だった。潜伏キリシタンを祖先に持つキリスト教徒や代々彼らを見張る役目を負わされた被差別部落の人々が多く暮らしていた当時の浦上。迫害と弾圧を乗り越えた後に何という悲劇かと思う。(第7回「浦上」参照)

平和公園にはこの日のために全国から届いた折り鶴がびっしりと飾られ、原爆の恐ろしさと被爆の悲惨さを伝える資料や写真が展示されている。平和の泉には水を求めた被爆者の言葉が刻まれている。生々しい写真を見るのは怖い。しかし、核兵器がなぜ恐ろしいか、どうして戦争をしてはいけないか、自分の目で見ないとなかなかわからない。被爆者の高齢化が進み、そのお話を聞く機会があるうちに、被爆の実相を継承することが今後ますます必要になる。

公園の一番奥に座す平和祈念像に祈りを捧げた後、サントス通りに出て坂を上り、如己堂(にょこどう)を目指す。被爆しながら多くの著書で平和を訴えた永井隆博士の晩年の住処である。隣の永井隆記念館で博士の生涯と著作に触れることができる。この日は無料開放されていた。坂をゆるゆるたどり、浦上天主堂を目指す。落ちた鐘楼、欠けた聖人像はもちろん、行事の最中でなければ教会内部も見学できる。この夜はカトリック信者によって「たいまつ行列」が行われる。平和公園で被爆者、戦没者らのために祈った後、原爆で傷ついた「被爆マリア像」と一緒に浦上天主堂までたいまつを灯して歩くのである。

 

如己堂/被爆マリア像

浦上天主堂を出て、爆心地公園を目指す。ここもたくさんの折り鶴で飾られている。被爆当時の地層が保存されており、爆風と熱線でめちゃくちゃになった様子がわかる。グラウンド・ゼロ、爆心を示す地点に黒い石のモニュメントがあり、同心円が地面に描かれている。隣には被爆した昔の浦上天主堂の外壁の一部が移設されている。以前も書いたが、浦上天主堂の再建にあたって残存部分は撤去された。爆心地公園と原爆資料館に壁の一部が保管されるのみだが、崩壊した姿を残しておくべきではなかったか。そのまま残っていたら広島の原爆ドームのように平和を訴える強固なシンボルになっていたのではないだろうか。

長崎市内の各地に今も残る戦争と原爆の爪痕は、見るものの心を強く揺さぶる。山王神社の片足の鳥居と被爆クスノキ、立山の防空壕、救護所メモリアル、原爆資料館の展示もぜひ見て欲しい。(第8回「被爆地」)ただ怖がるのではなくて、恐ろしいという感情をどのように不戦に結びつけるか、どうしたらこのようなことが二度と起こらないようにできるか、しっかり考えなければ危ない時代になっていると思う。

今年7月に国連で核兵器禁止条約が採択された。核兵器の開発や保有、使用を初めて法的に禁止する条約であり、広島、長崎の被爆者の長年の訴えが実を結んだ。しかし、核保有国のアメリカ、ロシア、フランス、中国、イギリス、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮は不参加、さらにドイツ、韓国、カナダ、イタリア、ポーランド、唯一の戦争被爆国である日本も条約採択の場に不参加。実質的にアメリカの核の傘に依存しているからである。

ここのところ北朝鮮のミサイルが何度も日本の方向に発射され、金正恩とトランプ米大統領の挑発的なやりとりもあり、防衛省は迎撃用のシステムをいよいよ使用するかもしれないと対応に追われている。不戦を誓いながら何かあったら困ると軍備増強の方向に進んでいる日本。アメリカの核抑止力がそのうち抑止力では済まなくなるかもしれない。平和祈念式典で総理が核兵器禁止条約について一切言及せず、平和のために何ができるのかはっきりしないままだ。

折しも長崎では平和首長会議が開催され、国の枠を超えて核兵器廃絶を目指す自治体の長たちによる世界平和への訴えが行われた。憲法に守られてかろうじて平和を維持してきた日本だが、あちこちに戦争の火種がうごめいている。どのような理由にしろ、戦争はいったん始まったら誰にも簡単に止められない。私は庶民として戦争に反対する、核兵器についても反対する。小難しい理屈ではなく、戦争は嫌だと叫ぶ。戦争に巻き込まれて命や生活を犠牲にし、後々まで被害を受けるのは、政治家や重要人物ではなく一般人、市井の人々、ありふれた庶民であるからだ。

(参考)
平和・原爆(長崎市)浦上天主堂(カトリック浦上教会)如己堂核兵器禁止条約の採択(国連広報センター)平和首長会議

<<合わせてお読みください>> 第7回 浦上 第8回 被爆地

えふなおこ(Naoko F)/プロフィール
子供時代から多様な文化と人々に触れ、複数の言語教育(日本語、英語、スペイン語、フランス語、韓国語)を受ける。テレビ局、出版社、法律事務所勤務を経てフリーランサー(翻訳、ライター)。