247号/椰子ノ木やほい

紅葉が美しいこの時期、久々に単身帰省し母と過ごしている。高齢の母の手には負えない庭木の手入れや、雨樋に詰まった落ち葉の掃除などしていると、懐かしい秋の匂いが漂ってくる。ミシガンにいるときにはすっかり記憶の彼方に追いやられているが、昔飼っていた亀のカメキチやアヒルのガーコのことまで、空気の冷たさや自然界の匂いとともによみがえって来るから不思議だ。

結婚してすぐ夫が田舎暮らしに憧れ、なけなしの貯金をはたき僅かな頭金で新築の家を建てた。かつて我が家の4人の子どもたちが幼少時代を過ごした家であり、12年間の日本の思い出がある。もうすぐ築34年となるが、今は母が住んでくれている。サモアに移住後も米国に渡ってからも、帰国のたびこの家に帰るのでふだん住んでいなくとも我が家の面々にとっては「日本の家」だ。

空き家にしている期間もあったが、処分することなくなんとか維持してきたのは、子どもたちが日本人としてのアイデンティティを保つための、なんらかの助けになるだろうと考えたからだ。日本人でありながら、人生の大半を海外で暮らす運命となった娘と3人の息子たちだが、長女、長男、次男は、それぞれの米国人配偶者を連れてこの家に来ている。

限られた旅程の中で、トトロが出てきそうなこのド田舎に足を運ぶのだから、たいせつな人に自分たちの故郷を見せたいという気持ちの表れなのだろう。――と母は勝手に想像している。かつて夫が日曜大工で作った子どもたちの遊具は、すっかり朽ちて時の流れを感じざるを得ないが、それぞれの伴侶と共にその姿を目に刻むことにも、なんらかの意味や価値があるような気はするのだが、はてさてどうだろう……。

(アメリカ合衆国・ミシガン州在住 椰子ノ木やほい)