第3回 生活に慣れることと慢心

ニューデリーでの生活は、時間の経過と共に緊張から放たれ、刺激的で楽しいものに変わっていった。2007年当時はスマートフォンもなく、情報量が少なかったこともあり、私のインドの治安に対する認識は低く、慣れてしまえば単独行動も平気だと思っていた。徒歩に加え、オートリキシャ(三輪バイクタクシー)やサイクルリキシャ(自転車タクシー)を利用するようになり、行動範囲はぐんと広がった。そのうち、デリー(首都ニューデリーは、デリーの中の一部地域をさす)やその近郊にある観光スポットのすべてを制覇したいと思うようになり、毎日どこかに出かけていた。

街中いたるところで見かけるオートリキシャ。流しを見つけて、目的地まで乗り付けることができ便利だ。

もちろん、楽しいことばかりでなく、肝を冷やすような出来事にも遭遇した。世界遺産のひとつ、フマユーン廟でのこと。平日の午後という観光客が少ない時間帯、警備員が多いことに安心して観光していると、そのうちの一人が、「眺めのいい場所に案内する」と手招きする。何度も言ってくるので、私はどんな景色か見てみることにした。敷地の端っこ、遺跡の背後にたどり着くと、男は「ここからの景色は素晴らしいだろう」と遠くを指さしたが、眺めは別によくない。直後、お金を要求された。しまった、と思ったが、その場所は、他の観光客の死角に入っている。抵抗して何か起きることを恐れ、紙幣を数枚渡して走り去った。警備員でさえ、簡単に信用してはならないと自戒した。

また、別の機会には、数人にからまれた。デリーの旧市街であるオールドデリーにあるイスラム教の寺院を訪れた時のことだ。周辺を散策していて、細い路地に入り込んでしまった。道に迷っていると、男子学生数人が後をつけてきた。服や持ち物をひっぱるなど、行動がエスカレートしてきた時に、人通りの多い大通りに飛び出し、大事に至らずに済んだ。さすがにその直後は一人での観光は控えたが、あちこち開拓するのを止めようとは思わなかった。

それらの体験はいつしか武勇伝のようなものに変わり、現地での妊娠と出産を経て、私はますますインド生活に自信をつけた。警戒する気持ちも緩み、子連れでどこへ行くのも平気だと思っていた時に、世界中の人を震撼させたニューデリーの女子学生車内暴行事件が起きた。2012年のことだった。

 

さいとうかずみ/プロフィール
2007年より8年インドに居住。インド国内での転居のために一時帰国している間に、図らずも、インド生活が終焉。2017年より約2年インドネシアに住みながら、インドへの思いを募らせていたところ、2019年6月再びインドに戻ることになる。