第9回 インド、コロナ禍のベンガルールの生活

連載の9回目は、引き続きインドの環境問題について書く予定だった。しかし、世界中が変わってしまった今、コロナ禍のインドについて触れずして連載を続けるわけにはいかないと思い、私の住むベンガルールでは市民の生活がどんな風に変わっていったのかをまとめることにした。

インドにおいて最初の感染者が出たのは1月末だが、ベンガルールでは2月中はマスクをつけた人を見かけることはなく、飲食店も商業施設も普通に営業していた。どことなく他人事な雰囲気すらあり、私自身、ランチに出かけるなど緊張感のない生活をしていた。しかし、3月に入って、学校が休校になり、22日には朝から夕方まで外出禁止令が出た。常に密集していてあらゆる音が混ざり合っているのがインドの日常であったため、人気の無い、静まり返った街の様子を見て、胸騒ぎがした。ただならぬ事態だと誰もが緊張して過ごしていた矢先に、ロックダウンが宣言され、人々の生活は一気に変わってしまった。

私は約300世帯が入居するマンションに住んでいるが、その管理運営側が国の要請や命令に準じた独自のコロナ対策規則を作った。内容は、高齢者と10歳未満の子供は外出禁止、共用スペースでのスポーツやおしゃべりの禁止、公園の使用禁止、子供の集団による遊びの禁止などだ。休校になって、エネルギーを持て余していた我が子は、外で友達と立ち話をしていただけで、「人との距離を空けなさい」と住人に注意された。日本の自粛警察のように、インドにも他人の行動を見張って取り締まる人がいるのだ。

マンションの敷地内に設置されたゴミ回収箱。左から、生ゴミ、回収できないもの(返却)、生ゴミ以外のもの。生ゴミはビニール袋や新聞紙で包むことが硬く禁止されているが、それ以外のものはプラスチックでも何でも放り込まれる。

他にも、規則は住民以外の人がマンションに出入りすることも禁じた。メイドやドライバーを始め、清掃や緑地整備をする管理スタッフ、各種配達、敷地内のスーパー店員も来なくなり、住人には不安が募った。中には介助の必要な高齢者もおり、さすがにやり過ぎではないかと苦情が出て、しばらくすると、ゴミの回収をするスタッフ、生活必需品の配達員、スーパーの店員など、生活のために最低限必要な仕事をする人々が戻り、マンションの敷地から出られなくとも生活ができるようになった。

一方で、ロックダウン前までは、指定の時間にドアの外に出しておくと回収されていたゴミも、各家庭で建物外に設置された回収箱に分別して捨てることになった。また、メイドに頼っていた掃除や皿洗いなどの全ての家事を自分たちでやることになり、住人は大慌て。スーパーの棚から雑巾や洗剤が消え、代わりにモップ付きバケツが陳列されるようになった。前回触れたが、インドは長年の分業が徹底していて、自分のことでも他人にやってもらうことが当たり前だった。メイド不在となった家庭では、家事分担をめぐり一悶着もふた悶着もあったはず。しかし、現状では家族全員で協力するほかになく、しばらくすると、買い出しやゴミ捨てなどに母親以外の家族が協力するのを見かけるようになった。やればできるじゃないか、と思ったのは部外者の私だけではないはずだ。

 

さいとうかずみ/プロフィール
2007年より約8年インドのデリーとその近郊に在住。その後、日本、インドネシアに約2年ずつ滞在して、2019年よりインドのベンガルールに戻る。コロナで一時帰国を命じられ、インドにいつ戻れるのかわからない状況。