第4回 ザ・スリル ・イズ・ゴーン

スイート・ベイジルで出会ったばかりのジャズ友と訪れたブルーノートでは、年季の入ったジャズメンがセッション中だった。アドリブに酔いしれていたら、時計は3時をまわったので、そろそろホテルに帰ろうと思い、お礼と共に彼に別れを告げると「明日は何するの?」と聞いてきた。

翌日は旅の最終日で、ハーレムのメインストリートにあるアポロシアターに行き、ジェームス・ブラウンやビリー・ホリデイ、ジャクソン5などを産んだコンクール、『アマチュアナイト』を見に行くことにしていた。しかし、夜のハーレムは予想以上に治安が悪い可能性もあり、内心不安だった(それでも行くつもりだったが)ので、「アポロシアターの 『アマチュアナイト』 に行くの。一緒にいかない?」と誘ってみた。返事はあっさり「明日はアーサー・ペンと夕食するので無理」だったが、「では午前中、一緒にフリック・コレクション美術館に行かない?」と、素敵な提案で切り返して来た。私が絵を描くことも好きで、美術鑑賞も大好きだと話をしたばかりだったので、お気に入りの美術館に誘ってくれたのだ。もちろん快諾し、11時にサン・パトリック大聖堂前で会う約束をして別れた。

サン・パトリック大聖堂は待ち合わせのメッカで、大勢の人が階段にたむろしていた。人混みの中、彼の顔を覚えているかどうか心配になって立っていたら、彼が手を振りながら近づいて来たので、ホッとした。フリック・コレクション美術館で、富豪が収集した名作を見た後、お互いに住所、電話番号を交換。お別れの握手をしようと右手をさし出したら、彼は手の甲に数秒間キスをした。こんな貴族の舞踏会のような挨拶をされた事は、もちろん初めてで、誰かに見られているわけでもないのに照れ臭かった。決してキザでなく、真摯に別れを惜しんでくれるエレガントな人だと思った。私は「本当にありがとう。日本から手紙を書きます」と行って、手を振った。

その後、Iさんにもお別れの挨拶に行ってから、一旦ホテルに帰ると、予定どおりIさんの友達3人が私と同じ安宿にチェックインしたところだった。彼女らは私と同年代で、日本とハワイからやって来て、NYで合流したばかり。私は彼女らに、Iさんにお世話になった事や旅情報を話し、今夜はNY滞在最後の夜で、アポロシアターへ行くのだと言ったら「わー! 一緒に連れてってくださーい!」と、声を揃えた。

夜になり4人でイエロー・キャブを拾い、アポロシアターの住所を告げるや否や、運転手は「デンジャラス! デンジャラス!」と叫びだした。「君たちは知らないが、とても危険な場所で、君らが行くようなところじゃないぞ」と言わんばかりだった。「心配しないで」と何度も言ったが、ハーレムに向かって車を運転する彼自身が一番怖がっていた様子だった。そして「何時に帰るんだ?」と聞いてきた。他の3人と相談して「23時45分になったら劇場を出るので、迎えに来てもらえますか?」と頼んだら、彼は他のキャブを寄越すと言ってくれた。

アポロシアターは案外クラシックな内装の劇場で、 “我こそは明日のスター” たちが次々にステージに立った。結構上手いのに最後まで歌わせてもらえない人もいて、流石にレベルが高かったことを覚えている。あっと言う間に23時45分になってしまい、終わる気配の無いイベントに後ろ髪を引かれながら4人で席を立った。すると、劇場前の表通りは、ズラーっと並んだ団体客を待つ大型バスと、ハザードランプを点滅させながらダブル縦列駐車する十数台のイエロー・キャブで大混乱していた。この時やっと、キャブの運転手の親切が心にしみた。ここで彼が寄越したキャブが見つからなかったら大変だと思いながら   “ジャパニーズガール4人が予約した” キャブを必死で探した。数分後、無事に車に乗り込み、そのままミッドタウンの展望バー・ラウンジに直行。映画に出てくるような摩天楼のナイトビューに抱かれ、私にとってこの旅の最後、そして彼女らにとっては最初の乾杯をした。

こうして睡眠時間を惜しんで楽しんだNYを後にし、早朝ラガーディア空港から帰途についた。遠ざかるNYを眺めながら「I’ll come back」と呟くと、旅の感動が涙腺に凝縮されたかのように、目頭が熱くなった。

 ……ここで私の記憶はぷっつりと途切れている。機内で爆睡したに違いない。

 

Tomoko FREDERIX (ともこ・フレデリックス)/プロフィール
1994年より在仏。トラベル&文化ライター、コーディネイター業などのかたわら、ウェブマガジンFrench Culture Magazineで独自にフランスの情報発信をしている。2019年から、在仏25周年未亡人歴20周年を記念した当エッセイを連載し、将来はフランス在住邦人女性の未亡人体験談をまとめた〈ヴーヴ・ジャポネーズ達のフランス(仮)〉、〈私小説・NY発パリ経由ノルマンディー不時着(仮)〉を発刊予定につき、出版社を募集中。