第1回 入学までの道のりは前途多難

中学生の頃から憧れていた“外国で勉強したいという夢”を叶えるべく、ポーランド西部の都市ポズナンへ1年間語学留学したのは2001年秋のこと。様々な国からやって来た留学生と机を並べてポーランド語を勉強した日々は充実したものだったが、終わってしまった後は何か物足りなさを感じていた。それは現地の学生、つまりポーランド人学生とは一緒に勉強できなかったということだ。

修士課程も終わりに近づいた2019年春に、開校百周年を迎えたアダム・ミツキェヴィチ大学。講堂では華やかに記念式典が催された

あれから18年経った2019年6月、あの時感じた“物足りなさ”を払拭するために行くことに決めた現地の大学のポーランド文学部で、念願の修士号を取得した。2年間通った修士課程は、勉強している間はとても大変だったはずなのに、終わってみるとあっという間だったように思える。このままだとせっかく頑張ったあの日々が夢のように消え去ってしまいそうだ。そこで、まだ記憶が新しいうちに修士課程で勉強したこと、経験したことを書き留めておくことにした。

そもそも最初に修士課程に進もうと考えたのは、2013年夏のことだった。当時5歳になる娘が秋から幼稚園に入園することになっていたので、ようやく自分だけの時間が持てるように思われたのだ。土日だけしか授業のない社会人向けの修士課程ならやれそうな気がした。私の住むポズナンには、首都にあるワルシャワ大学、古都クラクフにあるヤギェウォ大学と並んで歴史があり質も高いポーランド三大国立大学の一つである、アダム・ミツキェヴィチ大学がある。その上私が学びたかったポーランド文学部の建物が自宅から歩いて行ける距離にあるのも好都合だった。けれど、娘が幼稚園に通い始めたからといってもまだまだ手がかかる年頃。すぐに自分の考えが甘かったことに気づかされ、結局断念することに。

せっかく張り切っていたのに……、と意気消沈していた私に温かい手を差し伸べてくれたのが、以前語学留学していたときにお世話になったマレク先生だ。それまでにもメールや季節の折々のカードなどで近況報告をしたり、時にはお会いすることもあった。その先生がまだ語学学校で教えられていたので、大学に通えなくなってしまったことを相談してみたところ、先生の授業にならいつでも好きな時にどうぞとおっしゃってくださったのだ。お言葉に甘えて行ってみると楽しくて、気がつけば週1回のペースで通っていた。結婚以来在宅で仕事をしていたので、久々に“自分だけの世界”へ飛び込んだことが嬉しかったのかもしれない。何よりも、10歳以上年下の希望に満ちあふれた留学生たちの中にいるだけで、きらめくパワーをもらったような気がした。

そうして迎えた2014年春、ポズナンで実施されるポーランド語検定試験を受けた。それまで自分のポーランド語力を試してみるなんて考えてみたこともなかったのだが、同大学が会場になっていたこともあり、マレク先生に背中を押される形で受検した。その結果、ネイティブに近い語学力を示すといわれる最上級レベルのC2に、無事合格することができた。ポーランド人ばかりの修士課程で勉強する自信がついたのと同時に、ようやくスタートラインに立てた気がした。

スプリスガルト友美/プロフィール
ポーランド在住ライター。翻訳にも従事。昨年は6月半ばに修士課程を修了後、息をつく間もなく夫の仕事の都合で家族そろって約半年間日本に行っていたため、修士号取得の余韻に浸る間もなかった。再びポーランドに戻ってきた今、ポーランド語漬けだったあの日々をゆっくりと振り返ってみたいと思う。