第3回 修士論文は書けそうですか?

“お試し”修士課程で大学の授業の様子が分かり、なんとかやっていけるのではないかと思った私は、次年度(2015年秋)からすぐにでも修士課程に再チャレンジするつもりだった。しかしここでも運命のいたずらか、日本文化を研究している夫が国際交流基金からの研究費を得てその2015年10月からおよそ半年間日本に行くことが決まったのだ。ということは、また修士課程が一歩遠ざかってしまったことになる。ちょっぴり残念な気もしたが、あの時は久々に日本に長期滞在できる嬉しさの方が大きかった。小学一年生の娘にとっては、初めての日本長期滞在でもあったからだ。

せっかく乗りかけた勉強のリズムから離れてしまったせいか、それとも日本にいる間にポーランド語で勉強する自信を多少失ってしまったのか、ポーランドへ戻って来てからも修士課程への意欲が湧かず、結局また次の新年度が始まる2016年秋は過ぎ去ってしまった。

(左)夫が編集した『よく知られた地(実はあまり知られていない?) ― 現代的日本文化発見について』というタイトルの学術論文集。分野の異なる13人の多様な視点から見た日本が描かれていて、日本人の私から見ても興味深い論文集となった。(右)論文集の裏表紙には、夫が書いたポーランド語の要旨と並んで、私が訳した日本語の要旨も掲載されている。

そんなとき夫が、日本の研究をしている同世代の若手研究者を集めて論文集を作るという計画を立てた。私の方は既に修士論文のテーマまで考えていながら、肝心の修士課程での勉強が遠ざかる一方だったので、私もその論文集に何か書いてみたくなった。夫いわく、「日本に関するものだったらどんな分野でもOK」だったので、私の論文も載せてもらう方向で話は進み始めた。私は以前から、ポーランド文学部で研究するなら、日本のことも織り交ぜるべきだと考えていた。日本人の私がポーランドで、現地の学生と同じようにポーランドを論じるのは到底できることではない。それなら「日本人の目から見たポーランド文学」という方向で何か書けないかと、常々思いめぐらしていたのだった。

修士論文のテーマにしようとだいぶ前から決めていたのが、日本の大学で「ポーランドの小学校の教科書に掲載されているポーランドの詩」について卒業論文を執筆した時に出合った詩人、ヨアンナ・クルモーヴァ(Joanna Kulmowa)だった。私のクルモーヴァさんへの想いについては以前に連載した『ポーランドと私の20年』の「第3回 ポーランド児童文学の世界へ」の中で書いているので、そちらを参照して頂きたい。

修士課程に入ったとしても、肝心の修士論文を書き上げられるか不安だった私を勇気づけてくれたのは、「本に載せる論文なんて修士論文の1章分」という、博士論文まで書いた夫の言葉だった。夫によれば、4章から成る修士論文を書くには、学術誌に載せる論文を4本書けばいいと考える方が、気楽に書けるという。まさに“千里の道も一歩から”。確かに、70~80ページもの長さの論文を、しかもポーランド語で書けるのかと考えると気が遠くなるが、20ページの論文を4本と考えると書けそうな気がしてくる。これは実際に修士論文を書けるかどうかのテストになるかもしれない。

テーマは、クルモーヴァ作品が日本人にどのように受け入れられるか、というものにした。とはいえ、残念ながら日本では、2~3の詩をのぞいては邦訳が出ていない。そこで、自分で5つの詩を訳し、それを使って日本の読者がどのように感じるかというアンケート調査をすることにした。その結果を元に、私自身も小学校から高校まで勉強してきた日本の詩と比較しながら、クルモーヴァ作品の受け止められ方について書き進めていった。こうして出来上がったのが『日本人の目から見たヨアンナ・クルモーヴァの詩(Poezja Joanny Kulmowej w oczach Japończyków)』という論文だ。編集や校正に時間がかかり、出版は私の修士号取得と同時期になってしまったが、ポーランド語で修士論文を執筆するということへの自信を与えてくれたことは間違いない。

 

スプリスガルト友美/プロフィール
ポーランド在住ライター。翻訳にも従事。
先月の編集後記でプラド夏樹さんにもご紹介頂いたが、コロナウィルス騒ぎで『地球はとっても丸い』が休刊中だった4月15日、私にとっての初著書が刊行された。ポーランド児童文学翻訳家の大先輩でいらっしゃる田村和子さんとの共著で、タイトルは『ポーランド・ポズナンの少女たち~イェジッツェ物語シリーズ22作と遊ぶ』(未知谷)。このシリーズは私も好きな児童書で、原作と邦訳と両方買ってしまった作品もあるほどだ。本書の中で私は、ポズナン在住の経験とシリーズに対する思い入れを生かして、文学散歩についての章を執筆させて頂いた。たくさんの方の目に触れ、日本でもポーランドに負けないくらいシリーズのファンが増えてくれたらと願っている。ブログ「ポーランドで読んで、ポーランドを書いて」