268号/河野友見

前回、編集後記を書かせてもらったのは昨年の年末だった。いま読み返してみると、コロナ禍に陥る前はなんと平穏で平凡な日々だったのだろう。あの時、世界状況は混とんとしていたけれど、「希望が持てる年になるよう」願っていた。そして、「平凡な日々」が年を明けても続くのだろうと、信じて疑わなかった。

あれから数か月。誰もが予期しなかった「新型コロナウイルス」のために、私が思い描いていた2020年とはまったく違うものとなってしまった。春ごろは、先が見えない不安と闘っていて、誰にも会わずに家に閉じこもるだけで精一杯だったものだ。小学校は休校となり、在宅勤務が当たり前の世の中になった。

私は週に2日、仕事で近所の大学に通っているが、今年度の授業は基本的にすべてオンラインで行われることが早々と決まった。気の毒なのは春に入学したばかりの一年生だ。入学式もないまま、オンラインで初めてのクラスメイトや教授と顔を合わせて授業を行うキャンパスライフ。友人たちと語らったりサークル活動で交友の輪を広げるはずだったろうにと思うと、本当に気の毒だ。

コロナ禍のために私たちは多くのものを犠牲にすることになったし、こんなことにならなければ、今現在も元気で「平凡な日々」を過ごしていた人たちが世界に何万人も、何十万人も、いたかもしれない。それを思うと虚しさでいっぱいになるが、起きたことを悔いても何も戻らない。コロナ禍を超えた先に(そもそも超えられるのか、それがいつになるのかも不明だが)私たちの新しい「平凡な日々」が待っているのだと信じて、前を向いて歩いていくしかない。

そうそう、外出する際には顔にマスクがかかっていないとすぐに気づくようになった。私だけでなく、7歳の息子も「あ、マスク」と玄関先で思い出す。服を着る、靴を履くことと同じぐらい、マスクの着用も当たり前になった。これもすでに新しい時代の「平凡な日々」の一部なのかもしれない。

(日本・広島在住/河野友見)