第12回 食品トレーに思う

日本に戻り半年も経つと、すっかり日本の生活が日常化してしまった。買い物ひとつをとっても、日本の生活は便利で、ほとんどの場面でストレスフリーだと感じる。ひとつの店で大抵の買い物は済む。陳列されている品物が破れていたり、ホコリをかぶっていたり、入荷未定だったりすることはない。便利が当たり前という毎日を手に入れたのだから、その幸せにどっぷりと浸かればいいのに、私はインドフィルターを通して日本を見る習性が抜けず、気になることを見つけ出している。

例えば、以前も同じことを言ったが、過剰な包装。中でも、肉などをのせた食品トレー。スーパーは、食品トレー回収ボックスを設置しているが、ボックスはすぐにいっぱいになる。そういう私も、毎回トレーを数枚持ち込んでいるのだが、そもそもこんなにトレーを使う必要はあるのだろうかという違和感は消えない。

インドで生活していた時は、食材や日用品はネットで購入し、足りないものはすぐ近くのスーパーで買い足していた。肉は肉屋に電話してまとめ買い、魚は産地直送の鮮魚を自宅へ宅配してくれるサイトを利用していた。肉はキロ単位で買うのが普通。ヒンディー語で「半分」を表す単語があるのだが、インドの人はこの半分という単位をよく使う。私も「1キロまたは半キロ」で注文した。もちろん、何百グラムということもできるが、インド的には一般的ではない。インドはもともと何でも「はかり売り」の国なのだ。近所のスーパーでは、はかり売りの米、豆類、砂糖など、大きなコンテナに入っていて、必要なだけ買ってくることができた。

これはエコの発想というより、昔からの販売方法で、そのせいか人々は「1袋いくら」という感覚より、「1キロいくら」という感覚が身についているように思う。新聞紙面にも「トマトが1キロ何ルピーに高騰」などという見出しが出たりする。このはかり売りだが、自宅から持参した容器や袋に入れてもらうことができる。しかし、入れ物を持参するという習慣は、プラスチック製のレジ袋が広まるまでは、ごく当たり前のことであった。よって、プラスチック製のレジ袋や容器の使用が禁止されたからといって、インドの人々にとっては、かつての生活に戻っただけのことで、さほど苦痛ではなかったのではないかと個人的には思う。

ネットで購入した魚。トレーではなく袋詰めされて配達される

さてくだんの食品トレーであるが、インドではほとんど見ることがない。店頭でもネット販売でも、肉や魚は必要なだけ袋詰めしてもらえばいいので、店側があらかじめ分量をはかって並べておくことはない。人々の生活が変わっても、インドのはかり売りのスタイルは変わらないだろう。日本は、食品トレーがなくなるだけでも、環境への負荷が随分と軽減されるのではないかと回収ボックスからあふれ出たトレーを眺めて思う。

 

さいとうかずみ/プロフィール
2007年より約8年インドのデリーとその近郊に在住。その後、日本、インドネシアに約2年ずつ滞在して、2019年よりインドのベンガルールに戻る。コロナで一時帰国を命じられて仮の生活中だったが、長女が中高一貫校に合格したので、6年間は日本生活となりそう。夫はインドに在住、子どもたちはオンラインでインド人家庭教師による勉強を継続中。