169号/椰子ノ木やほい

今回も世界各地から、お国がらあふれる寄稿に感謝!!

震災以降、日本の媒体で目にするニュースや情報は決して明るい話題ばかりではない。それゆえ、人は生きているかぎり、どんな状況においても暮らしを続けなくてはならないという、あたり前のことに今さらながらずっしりと重みを感じている。

結局、どこにいようとも「暮らすこと」こそが生きることであり、人や心を育て、広い意味での環境を築いていくことに繋がっているのかもしれない。そう考えると、世界のどこかで毎日起こっているささやかなできこと全てがいとおしいことと思えてくる。

今月号では、村岡桂子さんがラオス滞在時のお子さんのことを書いて下さったが、拝読しながら、自分のサモア時代のことを思い出した。我が家も就学まっさかりの4人の子連れで日本を出て、サモアの現地校に子どもたちを通わせた経験がある。村岡家のご苦労は人ごとではなく、過去の自身の泣き笑いの日々を彷彿とさせ、思わずエールをおくりたくなった。

たきゆきさんの万年筆のお話では、かれこれウン十年も前に自分が中学進学のお祝いにもらった万年筆、「白地に花柄のあれどこにやったのかな?」と古い記憶がよみがえった。ドイツのとある町でうれしさのあまり、ぴょんぴょん跳ねて帰宅したというお嬢さんの笑顔を想像し、わたしまでニンマリしてしまった。「そうそう、日常のなかにあるこの瞬間を味わえることこそが幸せのかけらなのよ」とひとりごちながら、とてもさわやかな読後感に包まれた。

全作品にコメントしたいところだけど、字数が足りないのでやめておく。世界の小さな日常をわけてもらうことは私のシアワセ時間である。

(アメリカ合衆国・ミシガン州在住 椰子ノ木やほい)