昨年度、二男が日本語補習校で使用した小学2年生の国語教科書(光村図書)に、「おにごっこ」という文章が掲載されていた。いろいろなおにごっこの遊び方を紹介しながら、はじめ、中、おわり という簡単な文章の構成を学ぶといった内容だ。
ところが、米国には校内でおにごっこをして遊ぶことを禁じている学校がある。どのくらいの学校がおにごっこを禁じているのかは分からなかったが、インターネットで「tag(おにごっこ),banned(禁止された), school(学校)」などという単語を入れて検索すると、あたりのよい潮干狩り程度にざくざくとヒットする。米国人も「それはやりすぎ」と思っているから、ニュースとして取り上げられているのだとは思う。
学校を管理する側は、子どもたちが校庭を走り回り、おにごっこをすることでケガをして訴訟になることを避けたいと考えているようだ。
今年に入ってからはニューハンプシャー州のウィンダム学校区でドッジボールが禁止された。「一人の子どもをターゲットにすることはよくない」というのが禁止の理由。学校側は「私たちは暴力をなくすことに多くの時間を費やしている。子ども自身を的にした遊びは、私たちがやり遂げようとしているいじめ防止キャンペーンに反するもののように思える」と述べている。
同じ学年でも、子どもたちの身体能力は違う。強いボールが自分に向かって飛んでくることを怖がる子どもたちも確かにいる。しかし、子どもたちはうまくルールを変えていく力も持っているのではないだろうか。
力強いボールを投げる子どもは利き手と反対の手で投げること、ボールが体に当たると痛いという子どもがいる場合には、ワンバウンドしたボールで当てなければならないとか、二回まではボールに当たってもいいなど、その場でルールを作りかえればいい。
小学校2年生の教科書の最後の段落には、こんなことが書かれている。
「おにになった人も、にげる人も、みんなが楽しめるように、くふうされてきたのです。遊ぶところやなかまのことを考えて、きまりを作れば、自分たちに合ったおにごっこにすることもできます」
子どもたちのボール遊びやおにごっこの様子を遠くから眺めているとおもしろいやりとりを見ることがある。一人を集中攻撃すると、集中攻撃された子はイヤになって帰ろうとする。友達が家に帰るということは遊び相手を失うことになる。子どもたちは遊び相手を失わないために、ケンカしながら、言い合いながらも、ルールを適当に変えて、遊びが続けられるようにしている。
どこまでが「楽しいおにごっこ」で、どこからが悪ふざけになるのか、どこからがいじめになるのか、私は、子どもたちにはそれを体で感じて欲しいと思っている。
おにごっこやドッジボールといった遊びそのものに、いじめを助長する特性も人格を形成する特性はない。どうやったら、その場にいるみんなが、楽しく遊べるのかを感じて、考えて遊べばいいと思うだけれども……。
≪谷口輝世子/プロフィール≫
デイリースポーツ社で1994年よりプロ野球を担当。1998年に大リーグなど米国スポーツ取材のために渡米。2001年よりミシガン州に移り、通信社の通信員などフリーランスとして活動。プロスポーツだけでなく、米国の子どものスポーツや遊び、安全対策、スモールビジネス事情などもカバーしている。著書『子どもがひとりで遊べない国、アメリカ』(生活書院)、『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)、章担当「スポーツファンの社会学」(世界思想社)。主な寄稿先 「月刊 スラッガー」(日本スポーツ企画出版社)、体育科教育(大修館書店)個人ブログhttp://kiyoko26.hatenablog.com/ ツイッターKiyoko Taniguchi@zankatei