第11回 高齢者の手術

医療技術が進み、全身麻酔で身体に負担がかかる長時間の手術を高齢者が受けるようになってきている。九十歳の男性患者の手術をモニターしたこともある。高齢患者の場合は、若年患者と異なったことに注意する。

八十歳に近い女性白人患者の手術だった。老人ホームにいるという彼女は、待合室でこれから受ける脊柱手術におびえ切っていた。肌は乾燥して皮膚は紙のようにうすくなっている。私は足や腕に電極針をさして固定するのにテープを使うのだが、彼女には肌にやさしい紙製のテープにした。

手術は思っていたより長く、六時間ほど経過しただろうか。ようやく終了したとき、私は疲れきっていた。足のすねにつけたテープが、汗で密着している。これは思い切って一息にとってしまおう。勢いに任せてはがしたのは、まずかった。テープをとった後、血が出て止まらない。すねの辺りは、皮膚が特に薄いことを考慮しなかった。

「きゃー、あなた一体患者さんに何をしたの?」

看護師が大騒ぎする。よく見ると、テープに患者の皮膚がついているではないか。私はテープと一緒にはがしてしまったのだ。こんなことは初めてだった。

「彼女のように年取った患者さんにはね、もっと丁寧にしなくちゃダメでしょう」

看護師は傷の横に定規をおいて大きさを示すようにしてから、写真を撮った。“Incident Report” つまり、事故届けを出されてしまったのだ。

落ち込んだ、泣きたかった、もう仕事をやめたいと思った。すぐに上司にメールした。

「それは誰にでも起こり得る事故だから仕方ない。ただし同じミスはしないように」

これから数ヶ月後。手術前の準備室に、患者を訪れたときのことだ。ご家族が私を見るなり言った。

「あらっ、またあなたね。覚えているわよ」

正直言って患者の顔と名前は、ほとんど覚えていない。なにしろ、基本的には一度しか顔を合わせないのだから。この老婆の足を見ると、私が皮膚をはがしてしまった傷跡が残っていた。まるで私のことを恨んでいるかのように。彼女が、再手術で来院していたのだった。そして私のことをおびえた目でじっと見つめていた。手が震え、動揺してないように振舞うのに精一杯だった。

彼女の手術が終わったとき、スタッフにお願いした。

「とても敏感な肌ですから、テープをゆっくりとはがさせて下さい」

水をふくませたタオルでテープを湿らせて、ゆっくり取った。それでも、また皮膚がはがれそうだった。同じ間違えを繰り返したら、プロではない。自分に言い聞かせて汗を流しながら。

伊藤葉子(いとう・ようこ)/プロフィール
ロサンゼルス在住ライター兼翻訳者。米国登録脳神経外科術中モニタリング技師、米国登録臨床検査技師(脳波と誘発電位)。訳書に『免疫バイブル』(WAVE出版)がある。