第7回 民族の傷痕

肌が黒い西アフリカの人びとにとって、刺青はあまり意味をなさない。かつて私が暮らしたヌヌマ民族の村では、剃刀で顔や腕、胸に細かい傷をびっしりと刻み、その傷跡で肌一面に幾何学模様を描く慣習があった。これを専門用語で瘢痕分身、フランス語ではシカトリスという。

上半身にびっしりとシカトリスを入れた村の女性

シカトリスの模様は村によって決まっており、顔をひと目見ればどの村の出身か区別がついた。かつて、奴隷貿易に端を発した子どもの誘拐が多かった時代、生涯消えることのないこの模様のおかげで、何年もたってから無事に親元に戻れたケースもあったという。


基本的に、最初のシカトリスは生まれて間もない子どもの顔に施す。痛みの記憶が残らない年齢のうちに入れてしまう方がよいというのが彼らの言い分で、その後、結婚するくらいの年代になると腕や胸、背中へと自分の意思で増やしていく。最終的には、上半身をびっしりとシカトリスで覆う人も少なくなかった。

しかし、医療が遅れ、衛生状態も劣悪な暑い国でのシカトリスは命にかかわる。実際に感染症を引き起こして命を落とした話はよく聞くし、亡くならないまでも化膿させて、大きなケロイドになってしまっている人も目に付いた。ましてや乳幼児はリスクが高く、どれほどの子どもがシカトリスのせいで死んだのかは、考えてみるのも嫌なほどだ。

もちろん政府は廃止教育に力を入れており、その効果もあってこの慣習は廃れつつあった。私が暮らしていた村では、当時6歳だった女児が伝統的なシカトリスが入った最後の村人だった。しかし、その代わりなのか、生まれて間もない赤ん坊の頬に痕が残るほどの小さな切り傷を入れる慣習が生まれていた。このエリアは割礼も一般的で、割礼と一緒に頬への傷入れも行っていた。

村にはしばしば、割礼の廃止を目指すNGOがやってきたが、村人たちはみな、「やらないと子どもが死ぬから」と相手にしない。親しくしていた村の女子高校生に、百害あって一利もないことを説明しても、「子どもが生き延びるには必要。私も子どもを産んだら必ずやらせる」と言って譲らない。

「日本では誰もやらないけど、ヌヌマの村より死ぬ子どもはずっと少ないよ」

「私が日本で産めば何もしなくても大丈夫。逆にヌサラ(村での私のあだ名)がこの村で産めば、割礼もシカトリスもしないとその子は死んじゃうよ」

そうか、場所の問題なのか。

……なわけはない。しかし、論理が破綻していないだけに、これ以上の説得は諦めた。ふだんは町で暮らし、フランス語を話す高校生でさえこうなのだから、村の女性たちにわかってもらうのは至難の技だろう。

私の村での寄宿先のご主人も、割礼執刀者のひとりだった。割礼や顔への傷入れは止められなかったが、せめてもと思い、ボックス入りの剃刀の刃を時々プレゼントし、剃刀の刃の使い捨てをすすめた。賛否はあるだろうが、せめてHIVの蔓延は防ぎたいと考えたからだ。

ブルキナファソから帰国する途中のパリで乗ったタクシーで、運転手の顔に驚いた。見覚えのあるシカトリス模様だったのだ。

おずおずとヌヌマ語で話しかけてみるとビンゴ! 近くの村の出身者だった。すると彼は無線で仲間に連絡。合流したタクシーの運転手の頬にも似た模様が。そのまま盛り上がり、予定をキャンセルして運転手の家庭へ直行。その夜は同郷者を集めた大宴会となったのだった。

すごく便利やん!  シカトリス!

と思ってしまったのは、これで命を落とした人たちにはちょっと申し訳なかったかもしれない。

板坂 真季(いたさか まき)/プロフィール
町では早い段階でシカトリスが廃れたため、町に出た村人たちは「田舎者に見える」という理由で顔の模様を恥じていた。それが村での廃止にも大きく影響したようた。割礼の根絶にも、何かそういった“恥”を利用した手が使えないものだろうか。