第43回 スペイン植民地としてのメキシコ

国立宮殿に描かれたディエゴ・リベラ最大の壁画『メキシコの歴史』

相手を指す二人称。英語には単複を兼ねたyouしかなく、スペイン語には原則的にあなたのustedと君のtuとそのそれぞれの複数形しかない。ところが我らが母国語である日本語にはあなた、あんた、おまえ、貴様、オタク、汝、てめえと二人称が無数にある。相手への呼びかけにそのうちのどれを選ぶのかが、そもそも忖度(そんたく)なのである。

スペインではあまりusted(あなた)は使わず、もっぱらtu(君)を用いる。この理由は1936年に勃発したスペイン内戦まで遡る。ファシストのフランコ軍と戦う人民戦線は、共和派ブルジョワジーと労働者の政府軍民兵、そして外国人義勇兵による国際旅団が、みな平等に一致団結しなければならなかった。そのため、上下関係をなくそうと選択された二人称がtu(君)だったといわれている。

一方、かつてスペイン植民地だったメキシコではusted(あなた)をしっかり使う。それはコンキスタドール(征服者)が伝えた当時のスペイン語がよく残っているからだといわれている。1521年にスペイン人がアステカ帝国を制圧したメキシコ。メキシコのスペイン語では、丁寧に聞き返すときに“¿Mande?”というのだが、これは語源的には「ご命令されましたか?」である。誰が誰に? もちろん征服者が先住民にである。こんなメキシコの歴史に基づいた悲しい表現がスペイン本国で使われることは絶対にない。

ラテンアメリカ先住民と白人との混血はメスティーソと呼ばれる。元々はメスティーソ内でさえも細かいカーストがあった。父方か母方かどちらがスペイン人か、どれだけスぺイン人の血が混じっているかによって階級が異なるのである。もちろんスペイン人の血が濃くなればなるほど地位が上がるのだ。現在のメキシコ人は6割がメスティーソである。

スペインと同じように植民地政策をとっていた大英帝国はほぼ混血していない。ニュージーランドでマオリとのハーフを見かけたこともなければ、オーストラリアでアボリジニとのハーフにもお目にかかったことがない。北米に至っては西部劇を見てのとおりである。

ミャンマー建国の父アウンサン将軍の娘であるアウンサンスーチーはイギリス人と結婚していた。インド独立の父の生涯を描いた映画『ガンジー』でアカデミー賞をとったベン・キングズレーは、インド人医師の父とイギリス人ファッションモデルの母を持つ。しかし、それはごく一部の限られた上流階級の話である。

スペインが典型的な略奪型だったのに対し、イギリスは先住民人口の少ないところでは自治領型で、多いところでは協力型で植民地政策を進めている。メキシコのグアナファト、サカテカス、ボリビアのポトシの中南米三大銀山から吸い上げた銀を、スペインは英西戦争で使い果たした。それどころか英西両国ともこの戦争で国庫が破綻寸前にまでなっているのだ。

そもそも「ピレネーを越えるとアフリカ」とナポレオンに揶揄されるほどなのだから、スペイン人はピレネーのあちら側の人々ほどには白人ではないのだ。レコンキスタ最前線だったことからも、スペイン語にアラビア語起源の語句が多いことからもわかるように、大航海時代の時点ですでにスペイン人はかなりアラブ人と混血しているのである。

梅毒を世界中にまき散らしたのはスペイン人である。新大陸から連れ帰った先住民からまずスペイン人が感染し、ヨーロッパ中に流行、さらには世界中へと広まった。ヨーロッパの国々は梅毒に隣国の名をつけた。たとえばイギリス、イタリア、ドイツではフランス病と呼んだ。オランダ、ベルギー、北西アフリカではスペイン病、ポルトガルではカスティ―ジャ病と呼んだ。カスティ―ジャとはスペインのマドリッドを中心とするカスティ―ジャ地方である。日本ではポルトガル病と呼んだそうだ。そして、元凶となったスペインではさすがにやましかったのだろう、梅毒について黙して語らなかったそうである。

レコンキスタ最前線でアラブ人と混血しているということは、カトリック教徒がイスラム教徒と関係を持ったということだ。そもそも自らの出自が異教徒との混血なのだから、カトリックに非ずは人に非ずの時代に先住民と関係を持つことにさしたる抵抗はなかったのかもしれない。それとも、もっと単純に性欲に抗おうとしなかっただけのことなのであろう。もっとも梅毒の拡大はスペイン人だけに限らず、全人類の助平によるものであるが。

当初、アステカ帝国はスペイン人を歓迎したのだ。平和の神ケツァルコアトルが神話どおりに白い男の姿をして、一の葦の年である1519年に戻ってきたのだから。アステカの民は太陽が消滅しないよう生贄を捧げ、人口が減れば捕虜を求めて戦争をしかける日々に疲弊していた。神への生贄に選ばれることは名誉なこととされたが、それはあくまでも建前。本音では誰もが愛する家族を奪われたくなかった。だから、彼らは生贄を捧げずにすむカトリック教徒にあっさり改宗したといわれている。

人口が減るほど生贄を捧げまくったアステカvsカトリックに非ずは人に非ずのスペイン。狂気を狂気で制するこの争いは天然痘を新大陸に持ちこんだスペインに軍配が上がった。アステカを倒したコンキスタドールの名はエルナン・コルテス。彼は妾だった先住民女性マリンチェとの間に息子をもうけているが、スペイン人妻が産んだ息子にコルテス家の後を継がせている。コルテスの回想録にはマリンチェは通訳とだけ記されている。

メスティーソであるメキシコ人のルーツは、マリンチェのようにスペイン人にいいように利用されて捨てられた人々である。1810年に勃発したメキシコ独立戦争は、ペニンスラールと呼ばれるイベリア半島生まれのスペイン人と、クリオージョと呼ばれる新大陸生まれのスペイン人、メスティーソ、先住民との戦いであった。血で血を洗うとはまさにこのことである。

独裁者フランコの晩年、スペイン人の若者たちは民主化を求めて立ち上がった。この世代は民主化運動のために捕まったことがある人が多いらしく、彼らは年老いた今でもそれを誇りにしているという話をスペイン人から聞いたことがある。そのスペインでは昨今、結党2年目にして左派のポデモスが第三政党となった。

メキシコをはじめ、中南米では常時左派勢力が強い。これは原始共産制で営まれてきた先住民社会の名残りであると私は理解している。2018年夏の大統領選挙では新進左派政党である国家再生運動のロペス・オベラドール元メキシコ市長が優勢である。

イギリスではコービン党首が英国最大の夏フェス、グラストンベリーに登場するほど、労働党が若者から支持されている。アメリカでも2016年大統領候補指名レースで民主社会主義者のバーニー・サンダースが善戦を見せたことが記憶に新しい。彼らはいわゆるミレニアル世代から熱狂的に支持されている。

民主化運動も独立戦争も階級社会もなにひとつとして経験しなかった日本人は、自らの手で民主主義を勝ち取ったことがない。左派を支持する若者もいる反面、ファシズムを推し進めるのもやはり若い世代なのである。さて、日本の若者はどちらなのだろうか?

近年、スペインではカタルーニャ地方のスペインからの独立を支持するデモに8万人が参加した。一方、メキシコでは反汚職デモに参加した大学生43人がイグアラ市長夫妻からの指示で警察とマフィアによって殺害された。これらの海の向こうの出来事について、日本人はなにを思うのだろうか?

片岡恭子(かたおか・きょうこ)/プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。新宿ネイキッドロフトでの旅イベント「旅人の夜」主催。2017年現在、50カ国を歴訪。オフィス北野贔屓のランジャタイ推し。処女作棄国子女-転がる石という生き方』(春秋社)絶賛発売中!

以下、ネット上で読める執筆記事
春秋社『WEB春秋』「ここではないどこかへ」連載(12年5月~13年4月)
東洋マーケティング『Tabi Tabi TOYO』「ラテンアメリカ de A a Z」連載中(11年3月~)
投資家ネット『ジャパニーズインベスター』「ワールドナウ」(15年5月)
NTTコムウェア『COMZINE』「世界IT事情」第8回ペルー(08年1月)