第44回 ふたつの合衆国
スペイン国内で売られているタコの缶詰

2015年4月に日本再上陸を果たしたタコベル。またしょうこりもなくやってきたか! どうせまたすぐに撤退するだろうよという予想を裏切り、2017年9月現在、東京都内に4店舗あり、大阪にも進出したばかり。アメリカ本国では1ドル以下のブリトーが売りの低所得層向けのファーストフードというイメージが強いが、日本ではタコスが320円、ブリトーが500円からとけっして安くはない。日本のコンビニでブリトー1本200円台で買えることを思えば、むしろ日本ではタコベルはかなり割高感がある。

アメリカには他にもチポトレ・メキシカン・グリルというチェーン店がある。世界一店舗数が多いファーストフードであるサブウェイのように、チポトレはタコスもブリトーもカスタマイズできる。しかも、地産地消の野菜や穀物、自然飼育した家畜の肉を使い、冷凍食品や缶詰は一切使わない。肉の代わりにオーガニックの豆腐をチョイスすることもできるチポトレは、健康志向の分だけ値段も張る。同じようにタコスとブリトーを主力にしていてもタコベルの対極にある。

メキシコにはアメリカで人気のハードタコが存在しない。堅いトルティーヤのタコシェルではなく、本来の柔らかいトルティーヤを使った、アメリカでいうところのソフトタコこそが本場のタコスなのである。好みの具と一緒に刻み玉ねぎとパクチーをトルティーヤにのせ、トマトベースの赤いサルサかほおずきベースの緑のサルサをかけ、さらにライムを絞ったものこそがタコスなのである。

メキシコのタコスは具のバリエーションが実に豊富だ。その種類たるや、ひとつの店が全部網羅できるような数ではない。ポピュラーなのは牛肉と豚肉、そしてソーセージだ。しかし、肉と一口で言ってもタンや脳などのホルモンの部位も含み、さまざまな調理法がある。ソーセージだってロンガニサもあれば、チョリソもある。海辺には魚介のフライやマリネのタコスもある。屋台ごとに扱っている具が違うので、毎日違うタコスを食べ歩くこともできる。

そもそもブリトーはメキシコ料理ではない。アメリカ生まれのいわゆるテクス・メクスである。アメリカに近いメキシコ北部や外国人客が多い観光地ではブリトーを出す店もあるが、あれは逆輸入なのだ。アメリカのチポトレ・メキシカン・グリルには、トルティーヤを抜いた具だけのメニュー、ブリトー・ボウルがあるが、これなどはもはやブリトーではない。日本のタコベルにはタコライスがあるが、これはテクス・メクスでさえもなく、米兵相手の飲食店で考案された創作沖縄料理である。

アメリカでのブリトーの誕生は、肉やチーズをパンではさむか、のせるかした食べ物しかない食生活がたいそう貧相な国に、また肉やチーズを極薄焼きのパンに巻いた食べ物が仲間入りしただけのことである。日本でもメキシコ料理と称してブリトーを出す店がたくさんあるが、わかってやっている確信犯なのか、それとも知らなくてやっている無知蒙昧なのかはともかく、あれは正確にはテクス・メクス料理店である。

アメリカ生まれのメキシコっぽい料理を意味するテクス・メクスやカル・メクスという言葉は、1845年までメキシコだったテキサス州と、1848年までメキシコだったカリフォルニア州で生まれた料理を指す。スペイン語がほぼ公用語といっても過言ではない両州で、メキシコになんの縁もゆかりもない移民がそれらをつくったとはとても考えられず、メキシコ系アメリカ人、もしくは不法移民のメキシコ人が思いついた料理と考えるのがごく自然だろう。メキシコ人がアメリカ領土でアメリカの食材で、おそらくは飲食店で白人や黒人のお客の口にも合うように編み出したメキシコ料理が、テクス・メクスやカル・メクスなのだろう。

経済紙『フォーブス』によると2010年から2013年の4年に渡り、あのマイクロソフトのビル・ゲイツ氏を抑え、世界一の富豪に君臨し続けたのはメキシコのカルロス・スリム・ヘル氏である。2017年現在の彼の総資産はざっと6兆円。日本一の富豪であるユニクロCEO柳井正氏の総資産のざっと3倍だ。スリム・ヘル氏はメキシコに移住した両親を持つレバノン系メキシコ人である。

日本でもおなじみのドネルケバブは、アラブ世界ではシャワルマと呼ばれるポピュラーな料理だ。垂直な串にスライス肉を積み重ね、回転させながら縦型グリルで焼き、焼けた肉を削ぎ落す。メキシコのタコスの屋台でもまったく同じものを見かける。メキシコ人なら誰しも食べたことがある、もっともポピュラーな羊飼いのタコスのこの調理法は、レバノン移民がメキシコに伝えたものである。

トルティーヤとはメキシコではとうもろこしの極薄焼きパンのことだが、スペインではオムレツを指す。ペルーあたりでは野菜のかき揚げをトルティーヤと呼ぶ。タコスとは今でこそ、メキシコの国民食のことであるが、元々スペインでは罵り言葉という意味である。最近ではスペインから日本に蛸を輸出しているため、蛸のことをスペインでもタコ、さらには複数形にしてタコスと呼んでいる。言葉は移ろうものなのだ。

和食よりも3年早い2010年にユネスコ無形文化遺産に登録されているメキシコ料理。実はメキシコにはタコベルもチポトレもない。タコベルは1992年に首都メキシコシティ、2007年に北部のモンテレイに進出しているが、いずれも3年持たずに撤退した。アメリカ人も日本人もあれがメキシコ料理だと誤解しているかもしれないが、メキシコ人にとってあんなものは自国の料理などではないのである。

ところで、PSYの『江南スタイル』もウィズ・カリファの『See You Again』も抜いて、You Tube再生回数1位になった『Despacito』。1996年のスペイン人デュオ、ロス・デル・リオの『恋のマカレナ』以来の全米NO.1に輝いたスペイン語楽曲である。歌っているのは、アメリカ自治領プエルトリコ出身のルイス・フォンシとダディー・ヤンキー。アメリカのヒップホップに影響を受けた、プエルトリコ発祥のレゲトンというジャンルの音楽だ。なおプエルトリコは2017年5月に財政破綻している。国名の「豊かな港」どころか、第2のギリシャである。

とどのつまり、言葉も料理も音楽も文化というものは、そのルーツがどこにあろうともそれぞれの土地の実情にもっとも即したものが人々に受け入れられて残っていく。ただそれだけのことなのだ。これからの世界でイケてるものとは国境という名の高い壁をかいくぐってやってきたいろんなものからいいとこどりをしたスーパーハイブリッドであることは確かだ。

片岡恭子(かたおか・きょうこ)/プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。新宿ネイキッドロフトでの旅イベント「旅人の夜」主催。2017年現在、50カ国を歴訪。オフィス北野贔屓のランジャタイ推し。処女作棄国子女-転がる石という生き方』(春秋社)絶賛発売中!

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