第3回 どれがホントの名前?バリエーションいろいろ、ポーランドの名前事情

ラクシ、ラクーニュシ、ラッチャ、ラッキーニュシャ、ラッチュシ。

どれも全部犬の名前だ。なんていうと、一体何匹の名前かと思われるかもしれないが、実はこれらは全て我が家の愛犬ラッキーのニックネーム。ポーランド語ではちっちゃくてかわいいものへの愛おしさを表現するのに、限りなく形を変えることができる。時には元の名前が何だったのか分からなくなってしまうほどだ。毎日のように夫や娘の口からこういった愛称がポンポン飛び出してくるのを聞いていると、よくこんなに呼び名を変えられるな、などど感心してしまう。

「ラッキー」という名前は、その言葉通り「幸せな“犬生”を送って欲しい」という願いから思いついたのだが、あまりにありふれているので、やはり違うのにしようかと迷ったこともあった。それでもその名前を選んだのにはちょっとした理由があった。

ラッキーは8匹の兄弟犬と共に生まれた。犬のお産は軽いと言われるが、帝王切開での分娩となった。たくさんの子ども達がお母さんのお腹の中で押し合いへし合いしていたせいか、はたまた獣医さんのミスか、お腹にメスが入ったとき、不幸なことに一匹の子犬の右足の指が1本切断されてしまった。

生まれたばかりのラッキー。男の子はこの3匹だけだった。最初はチラとは違った色合いで灰色っぽい毛並みのブルーマールを選ぼうと考えていたのに、ブリーダーさんから送られてきたこの写真を見てからは、もうラッキーだけしか見えなくなってしまった。(c) Szkockie Wrzosowisko FCI

驚き悲しんだのはブリーダーのご夫妻。9匹の子犬みんなが新しい家族のもとで幸せに暮らして欲しいのに、こんなことになるなんて! 生まれながらにして不幸に見舞われたこの子には何としてでも幸せになってもらいたい。「この人なら」と信じられる人のもとへ行ってもらいたい。そう思いながら、吟味に吟味を重ねたという。そうして選ばれたのが、最愛のチラを失くしてぽっかり空いた穴を埋めてくれる子を探していた私たちだった。私たちのほうも、これもチラからのメッセージかもしれないと運命の出会いを感じ、受け入れることにした。

指の足りないハンデなどものともせず元気に走り回っている姿を見ると、この名前にしてよかったと心から思える。しかも前述したように、ポーランド語では柔軟に(?)呼び方を変えられるので、「うちの子にしかない名前かも」とひそかに感じている。

4歳になる頃のチラ。お気に入りだったゴリラのオモチャと一緒に。

ちなみに、「チラ」という名前は「Chilla」というスペリングで義母が名付けたのだそう。ポーランド語のスペルではないので、どうやって思いついたのかは不明だ。そしてそれもチルカ、チルシ、チルーニャ、など多様に変化していたので、出会ったばかりの頃は「あれ、チラという名前じゃなかったっけ」と思うこともしばしばだった。

ヨーコの写真。まだデジカメがなかった頃のことで、あまり写真を撮らなかったそうなので数少ない写真のうちの一枚。

夫の家ではチラの前にも別の犬を飼っていた。ミニチュアピンシャーの女の子だったその子は「ヨーコ」だったという。こちらも義母が名付け親だそうで、世界的に有名なオノ・ヨーコからインスピレーションを得たのかと勝手に想像している。その犬の思い出話を聞きながら、私はヨーコでなくてよかったと思っていたが、夫の方も結婚相手に選んだ人がかつての飼い犬と同じ名前ではなくてよかったと胸をなでおろしたとか。

ポーランドで出会った犬の中には、世界的な作曲家“モーツァルト”やベートーベン“といった名前もあった(ポーランド生まれのショパンの名前がついた犬にはまだ出会ったことはない)。「モーツァルト、お座り!」という声を聞いて、思わず振り返ってしまったことも。そんな面白い名前の中でも、一番オリジナリティを感じたのは“センセイ”という名前だった。

2001年の冬に留学のため再びポーランドを訪れたとき、一番嬉しかったのが懐かしいセンセイとの再会だったかも。以前と変わらず元気だったのが嬉しかったな。

その犬と知り合ったのは、初めてポーランドを訪れた1995年の夏のこと。青年海外協力隊として派遣され、コペルニクスが生まれたトルンという町の大学で日本語を教えていた先生の飼い犬だった。覚えたての日本語の中から「センセイ」という言葉を犬の名前に選んだ学生からもらったのだそうだ。センセイェク、センスシなどやはり名前のバリエーションがあり、思いがけず日本語がポーランド語化する瞬間に遭遇したのだった。

それほど大きく変わることがないと思っている名前の変化形を聞くとき、何年経ってもポーランド語は奥が深いと感じる。自分でパッパッと愛称形を口から出せなければ、ポーランド語を極めたとは言えないのかもしれない。

スプリスガルト友美/プロフィール
ポーランド在住ライター。『Był sobie pies(犬がいた)』という本を読んだ。英語の原題は『A Dog’s Purpose』。最近映画化もされた話題の本だ。この本を知ったのは、映画の話を知る前のこと。チラと別れてペットロスに陥っていた頃、犬が主役の本を探していて見つけたのが『野良犬トビーの愛すべき転生』という日本語版だった。その後、映画公開を前にしてポーランド語版が出版されたので、こちらを購入して読むことに。ところどころでチラやラッキーを重ね合わせては涙してしまったが、とてもいいお話だった。犬好きの方にはおススメだ。
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