第12回 サンキュー

今から20年以上前。私がカリフォルニア大学を卒業してまもなく、就職フェアに行ったときのことだ。面接の心得について話していた講師が、参加者に質問した。

「英語からなくなりかけている言葉があります。皆さんは何だと思いますか?」

満席の会場で、誰も答えられない。

「それはね、サンキューという言葉です。皆さん、感謝することを忘れていませんか?」

確かに、私は文句ばかり言っている。ちょっと反省した。講師は、面接してくれた人には「サンキュー」を忘れないように、と念を押した。

当時は、インターネットや携帯電話が普及していなかった。履歴書は郵送し、応募した会社からの連絡をひたすら待つ。封筒や郵送代がかさんだ。今では想像もつかないだろう。人事部に到着しているのか、担当者が目を通してくれたのか。返事がない場合は、担当と思われる人に直接コンタクトした。留守番電話にメッセージを残して、また待つ。あなたの仕事の責任者は別の人だから、そちら連絡するといい、とアドバイスしてもらったこともある。

働きたいと切望して履歴書を送っていた新聞社から、ついに連絡があった。面接に来て下さいと言われた。オレンジカウンティーレジスターという、ピュリッツァー賞を受賞している地方紙だ。ニュースリサーチ部のディレクターが、面接してくれて仕事内容を話してくれた。そして、彼女の部下を全員紹介してくれた。みんなの名刺をゲットできた。

女性起業家の友人が、私にアドバイスしてくれた。

「絶好のチャンス、雇ってもらいたいなら全員にサンキューノートを書きなさい。今すぐに」

サンキューノートとは日本のお礼状のような感じだろう。お世話になったり、パーティーに招待されたりし、感謝の気持ちを表したいときに送る。名刺をくれた人全員に送った。

「仕事中なのに、自分の仕事について話してくれてありがとう。あなたと働けるようになれたら、とてもうれしいです」

最後はこう締めくくった。本当にそうなることを願いながら。私は採用された。候補者は私を含めて十人ほどいた。全員を面接したが、サンキューノートを送ったのは私だけだった。だから情熱が伝わり、雇われた。後になって、みんなから聞いた。

それから二十年以上たった。面接してくれたら、Eメールで簡単にお礼を言うことができる便利な時代だ。もう消滅するかと思わせるサンキューノートだが、私はまだ出している。病院研修でお世話になった責任者には、最終日に渡した。面接してくれた人事担当者にも出している。

手術室では、その日に一緒に働いたスタッフには最後に「サンキュー」と言うようにしている。忘れたくない言葉だと思う。

伊藤葉子(いとうようこ)/プロフィール
ロサンゼルス在住ライター兼翻訳者。米国登録脳神経外科術中モニタリング技師、米国登録臨床検査技師(脳波と誘発電位)。訳書に『免疫バイブル』(WAVE出版)がある。