第2回 2週間の有給休暇

その頃私は、数年前Mさんに引き抜かれて入った印刷会社で、某銀行系会社の販売促進企画を担当する企画営業チームに在籍していた。

入社早々、チームのリーダーMさんと部長に連れられ、大手企業のクライアントに出向き、徹夜で完成させたばかりの企画をプレゼンテーションした興奮は、今だに忘れ難い。その企画は採用され、企画顧問兼編集長として出向してきたA氏と共に、関東、東海、関西地域の3バージョンの特典付き飲食店ガイドブックを製作、年一回発行させることが、私の仕事のメインとなった。この企画には愛着はあったが、仕事は多忙を極めた。すべきことは多岐に渡り、特に一年目は慣れないパソコン作業に途方も無い時間がかかった。ときには後輩や同僚に手伝ってもらっても間に合わず、朝まで仕事をすることもあったし、コンサートやライブに行った後、事務所に戻り仕事を続けた日も度々だった。

旅行資金が整うタイミングは、そんな仕事に慣れてきた頃にやってきた。

新婚旅行の場合を除いて、長期の有給をとる社員は皆無だったが、人生初の海外旅行に2週間は必要だ、と思った。まず、以前勤めていた会社の同僚で、ある日「アメリカに行く」と言って退社し皆を驚かせたSちゃんを訪ね、ウエストコースト・ライフを垣間見に行くことにしていた。そして、いつか走って見たいと思っていたルート66に想いを馳せながら、ロサンジェルスまでドライブを予定していた。その後、ニューヨークでは、ヴィレッジにあるジャズクラブ、ハーレムにある教会のゴスペル・ミサ、そして、ブラック・コンテンポラリー・ミュージックのスターを数々産んだことで有名な公開コンクール、アマチュア・ナイトを観に、アポロシアターへも行く予定をたてていた。

有給申請の根回しとして、リーダーのMさんの反応をみることにした。Mさんは、専務がいつも新事業のアイデアを相談しにくるほど、上司に頼られている将来の幹部候補だったからだ。私は恐る恐る「いつか、アメリカ旅行のために2週間くらい有給取りたいんですけど……」と言ってみたら、「お前、もう自分の仕事わかってるんだから、仕事を人に任せて行ける時期を選べば?」と、素晴らしい返事が返って来た。

こうして私は、夏のボーナスが払われる頃で編集業務も少ない時期であった6月初旬に有給休暇を申請し、無事に許可を得た。そして、「初の海外、ニューヨーク一人旅ゆえ、二週間ほどオフィス不在」仕事仲間に堂々と発表した。

長い有給をとってヒンシュクを買うかと思っていたが、沢山の仕事仲間にも励まされ、東京と大阪のスタッフからも、友人紹介リストが長ーいファックスになって事務所に届いた。一部の人からは、餞別までいただき、大感激だった。海外一人旅行に反対する両親には「アメリカの知人を訪ねる旅だから一人で行くけど心配しないで欲しい」と言い放ち、仕事より忙しくなりそうな旅行に出かけたのは、1990年のことだった。

 

Tomoko FREDERIX (ともこ・フレデリックス)/プロフィール
1994年より在仏。トラベル&文化ライター、コーディネイター業などのかたわら、ウェブマガジンFrench Culture Magazine(www.frenchculturemagazine.com)で独自にフランスの情報発信をしている。2019年から、在仏25周年未亡人歴20周年を記念した当エッセイを連載し、将来はフランス在住邦人女性の未亡人体験談をまとめた〈ヴーヴ・ジャポネーズ達のフランス(仮)〉、〈私小説・NY発パリ経由ノルマンディー不時着(仮)〉を発刊予定につき、出版社を募集中。