桜を愛してやまない日本人同様、カナダの人々にも桜はとても人気がある。ビクトリアでは様々な種類の桜の木が公園や道路脇に植えられていて、早い時は1月末から咲きはじめる。その後2月から5月頃までは次々に違う種類の桜が咲き、人々の目を楽しませてくれる。
先日ビクトリアでちょっとした騒動が起こった。気候変動に対応した都市林基本計画に関する市議会において、これからは桜の木の代わりに在来の木を植えるようにしてはどうかという提案が出されたのだ。外来種の桜より、バンクーバー島の在来種の木の方がエコロジーの面でより良いという考えらしい。
この市議会での様子が報道されるや否や、「市議会が桜の木を切ろうとしている」「断固反対だ。何かできることはないか」「署名活動を始めてはどうか」「ビクトリアの春を彩る桜が消えてしまうのは悲しい」など、私が理事を務めるビクトリアの日系文化協会あてに大量のメールが届いた。協会会長にはTVやラジオ局からインタビューのリクエストが相次いだ。
ビクトリア市内の桜の木には歴史がある。1880年代後半、出稼ぎのため多くの日本人男性がカナダに移住した。ビクトリアへの最初の移住者は、日本製品販売店Japanese Bazaarの店員だったそうだ。次いでアザラシ猟の船員や製材所での仕事に従事する人が増え、のちには漁業が主になったという。これら初代の移民たちのほとんどは、数年後には日本に帰国して行ったが、そのうちカナダを祖国として骨を埋める者もでてきた。ビクトリアにおける、日系カナダ人は1931年の時点で297人いたという記録が残っている。
1937年、ビクトリア市の創立75周年を祝うパレードにて、日系人たちは紙で作った桜の木や提灯、橋をあしらった山車を作り、見事山車コンテストで1位になった。賞金は300ドル(約2万5千円)だったそうだが、これは現在のカナダドルに換算すると5100ドル(約42万円)となり、かなりの大金だ。この賞金を、ビクトリアの日系人たちは桜の木を購入して欲しいと、市にそのまま寄贈した。当時の公園担当係は喜んで日本から1013本の桜の木を購入した。これらの木はかなり老朽化しているが、今でも残っている。
このような歴史があるため、事情を知る市民からは歴史のある桜の木を切るとは何事かとの抗議が多く寄せられた。最終的には、市長が「桜の木を切るとは言っていません。確かに老朽化しているため枯れかけている桜の老木はありますが、その土質が桜に適しているならまた新しい桜を植えます。桜またその他の木が現在の場所で上手く育っていない場合、また新しく植林する場合などは、できるだけ在来品種の木を植えるようにしようという提案です」という声明が発表され、騒動はとりあえず一段落した。メディアが大げさに報道したため、市民を不必要に不安がらせたという意見もあるが、少なくとも、桜を愛するのは日本人だけではないということがはっきりした事件だった。
今年は雪が多かったためか、開花は遅れているようだが、少しずつ桜が咲き始めている。今回の騒動のおかげで、ビクトリアの桜の歴史がより広く認知されることになったのはまさに「災い転じて福と成す」と言えるかもしれない。今年の桜は例年にまして市民に愛でられるだろう。
※参考資料 『Sakura in Stone: Victoria’s Japanese Legacy』Gordon and Ann-Lee Switzer著 (TJ-Jean Press)
《ピアレスゆかり/プロフィール》
カナダ在住ライター、コンサルタント。2018年から「はみだし系ライフの歩き方」ポッドキャストも配信中。100日毎日日本語と英語でブログを書くプロジェクトも残り20日あまりになり、ゴールが見えてきたところ。