254号/椰子ノ木やほい

5月から6月中旬まで日本で過ごした。先回ここに書かせてもらった昨年11月も、日本に帰省中だった。あれから半年ほど経っているというのに、つい先日のような感覚だ。年々、時間の経過が早く感じられることには、ただ驚く。この調子だと、自分の残りの人生もあっという間なのではと焦ってしまうが、焦ったところでどうにかなるものでもない。先の滞在では、日本の我が家の片付けをしながら母とゆっくり過ごしたが、今回は、「会いたい人に会おう」を実行した。わたしの人生時間は減るいっぽうなのだから。

広島、山口、鹿児島、神奈川、東京と移動しつつ、日ごろはオンラインで繋がっている8名の仲間たちと会えた。ありがとうJRパス!ちなみに、全員が地球丸への寄稿経験のある“会いたい人”たちだ。それぞれ、話題はちがうものの、時間がいくらあっても足りないぐらい楽しいおしゃべりの連続だった。ふだん米国のミシガン州で暮らしているわたしが、まったく別のところで生きている人たちと面会しているというのに、まるで毎日会っているかのごとく会話が弾むのはほんとうに不思議なことだ。

わたしの地元名古屋では、これまた中学や高校時代からの友人など、今でも数年ごとに会うことを楽しみにしている友だちとお茶や、飲み会を楽しんだ。日本を脱出してから早22年が過ぎた。古い友人のなかには、昔はよく気が合ったのに、いつのまにか会話が噛み合わなくなり、だんだん疎遠になってしまった“かつての友”もいるので、帰国のたびに、お互いの再会を楽しめる交友関係が今もなおあることはほんとうにありがたい。

もっとも、会話が噛み合わなくなったと感じるのは、彼女らが変わってしまったわけではなく、むしろ逆で昔のままだからなのかもしれない。22年の間にわたしが変貌し、それが大きな距たりとなっているともいえる(と、勝手に分析している)。昔、仲良しだったからといって、同じ次元で同方向に成長しているわけではないのだから、懐かしいだけでは、実りある会話のキャッチボールは成り立たない。楽しく有意義なおしゃべりのためには、お互いにおかれている状況や思考がわかりあえる程度の日ごろからの繋がりと、共有可能な価値観が見いだせることは必要と感じるこのごろだ。

結局のところ、会話が弾む人たちとは、どこにいようとまた会おうとするし、それなりに縁を保つ努力もする。より楽しい、より幸せな時間を求め、人との関わり方が変わっていくのは世の常なのだろう。

(アメリカ合衆国・ミシガン州在住 椰子ノ木やほい)